盲導犬の父塩屋賢一とアイメイトの歩み

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アイメイト事業の確立

「アイメイト協会」の誕生

1989年、『(財)東京盲導犬協会』は『(財)アイメイト協会』(現・「(公財)アイメイト協会」)に名称を変更し、新たなスタートを切った。賢一は、常々「盲人を導く犬」を意味する「盲導犬」という呼称は、視覚障害者と犬の共同作業である歩行の実態にそぐわないと考えていた。そのため、新たに考えたのが「目」「私」「愛」と「仲間」「パートナー」を一つの言葉で表す『アイメイト』という呼称だった。東京盲導犬協会設立時から「アイメイト」の呼称を使い始めたが、『アイメイト協会』への名称変更により、名実ともに「アイメイト」がスタンダードになったと言えよう。

視覚障害者歩行訓練センターの竣工を祝ってテープカットする賢一(中央)ら

一方、日本の盲導犬・アイメイトの歴史を支えた訓練施設は、老朽化し、アイメイトを希望する視覚障害者の増加と共に手狭になっていた。賢一の「歩行指導を受ける視覚障害者のプライバシーが守れる機能的な施設にしたい」という長年の思いもあり、新しい施設の建設が決まった。資金面や立地の選定などに困難もあった中、1996年10月10日、東京・練馬区関町に『視覚障害者歩行訓練センター』が竣工。以後、現在に至るまでこの施設で歩行指導が行われ、最近では年間約40組の卒業生を輩出している。

現在も使用されている視覚障害者歩行訓練センター

賢一は竣工の翌年、次のように語っている。「新施設は、旧施設に比べて一段と大きく、また、整った施設となったが、それだけで解決するものではない。犬の訓練、指導員の教育、視覚障害者の指導といったローテーションがうまく噛み合わねばならず、これをうまく組み合わせることが重要である」

泊まり込みで歩行指導を受ける人のプライバシーが守られた居室

現場からの引退

新しい「歩行訓練センター」で、アイメイトの育成は順調に進んだ。2000年には卒業実績800組を突破。翌年、賢一は80歳を迎えた。その頃から体力の衰えが目立つようになり、後には足の骨を折るけがをして車椅子の生活が続いた。歩行訓練センターに顔を出すことも、週に1、2回から、2005年頃には月に数回へと減っていった。
そんな父の姿を見て、学生時代より仕事を手伝ってきた長男・隆男は言った。「それでは仕事にならないだろう。無責任じゃないか」「俺もそれを考えていたんだ」親子のストレートでシンプルな会話で決まった。2005年、賢一は現場のトップである理事長を引退し、会長に就任。後任は隆男に任せることにした。
チャンピイの誕生から50周年に当たる2007年、アイメイト使用者は1000組を突破した。1000組目は声楽家の大石亜矢子さん。アイメイトと共に歌やピアノの弾き語りによる演奏活動をしている。「アイメイトとは、どんな時でも一緒にいる。それが一番大きい。ステージの上に一緒に上がることも多くて、横で見ていてくれるので、心の支えになってくれる」と大石さんは言う。大石さんのように、現役のアイメイト使用者はさまざまな形で社会参加をしている。60周年を迎えた現在、その数は1300組を超えている。

50周年記念パーティーで旧交を温める塩屋賢一(左)と第1号使用者の河相冽さん。河相さんはチャンピイの後もアイメイトを使い続けた。後ろに立っているのは現理事長の塩屋隆男。賢一はこの2年前の2005年に理事長職を長男に譲った。

永眠

晩年の賢一は、アイメイト協会の会長として、一歩引いた立場で使用者やアイメイト育成に携わる人たちを見守っていた。2010年9月12日、肺炎と呼吸不全により、88歳で永眠。今、賢一が遺したアイメイトへの思いを語ったメッセージが、次の世代へ受け継がれている。

塩屋賢一とアイメイトの候補犬たち

■心でつき合うアイメイト

私はいつも、「アイメイトは目です」と言い続けてきました。卒業生が増え、使用者の年代の幅が広くなり、受け入れられる社会環境も変わってきて理解も深まり、使用者にとっては良い時代になったと思います。使用者一人一人が開拓者という感じで努力した10年くらい前と比べ、受け入れられるのが当然のようになっている現況は有難いのですが、それが当たり前として使用者側の気持ちやマナーにゆるみが出ることがないかと気になるこの頃です。(2001年5月30日)

■訓練にはいとおしむ心を、視覚障害者には情熱を

訓練には犬をいとおしむ心を、視覚障害者には「何としても独立歩行できるようになってほしい」という情熱を持って指導に当たって欲しいと思います。一人一人・一頭一頭それぞれ違います。そのペア歩行を完成させるにはマニュアルを消化するのではなく、個々へのプラスアルファの対応と工夫を要します。それでも適合できない人も、犬もいます。それを無理矢理適合させる事はできません。その判定は常に悩むところですが、そこをきちんと判定することがアイメイトの真価に繋がります。視力の有無に関わらず、「心の視野を広く持って明るく積極的な社会人になりましょう」というのがアイメイト協会のモットーです。(2005年6月20日)

■『アイメイト』は、私の愛する目の仲間

私たちが『盲導犬』ではなく『アイメイト』と呼ぶのは、私の愛する目の仲間という意味なのです。『盲導犬』という言い方は、どうも違っている。どうか皆さんも、そのことを忘れないよう、がんばってください。(2009年10月4日)

 

社会からの評価

賢一の功績に対する評価は、表彰や授賞という形で表れている。おもな受賞歴は以下の通り。

厚生大臣表彰(1979年)

視覚障害者福祉で実績と功績を残したことが認められた。

吉川英治文化賞(1982年)

なかなか日の当たらない盲導犬育成事業を長年地道に行ってきたことが讃えられた。

勲五等瑞宝章(1993年)

盲導犬(アイメイト)事業を通じて社会福祉に長年携わってきた功績が認められた。

ヘレン・ケラー・サリバン賞(2002年)

アイメイトを通じて視覚障害者に歩行の自由を与え、自立と尊厳の獲得、社会参加を支援した貢献が認められた。

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