国産盲導犬第1号ペア 河相洌さんとチャンピイの記録 〜半世紀前の秘蔵アルバムから〜

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河相さんのパートナーとして働くチャンピイ

大森での歩行指導を終えた河相さんとチャンピイは、すぐに自宅と勤務先の盲学校があった滋賀県彦根市に帰りました。
その後、転勤先の静岡県浜松市でも河相さんとチャンピイの生活は続きました。場所が変わってもチャンピイの働きぶりは変わらず、河相さんは自由に外を歩くことを通じ、自立した生活を確立しました。この「歩行の自由」が支える「自立」こそが、全てのアイメイト使用者が強く望むものであり、アイメイト協会が目指す境地なのです。

彦根城の堀端を歩く河相さんとチャンピイ
彦根城の堀端を歩く河相さんとチャンピイ。彦根の人たちもまた、河相さんたちの姿に驚きを隠せなかったようだ
彦根城前で
コーナー(段差)では一時停止して安全確認をした後、河相さんの「ゴー」の指示で進む。大森で塩屋賢一から指導を受けたことが、彦根での実際の歩行でも繰り返された
彦根の住宅街を歩く河相さんとチャンピイ。当時の路地裏はまだ未舗装路が多かった
市街地を歩く際にも、人と車の多い大森の路上で行った実践的な歩行指導がおおいに生かされた

チャンピイにハーネスを装着する河相さん
タクシーに乗り込む。当時、ほとんどの公共交通機関はたとえ盲導犬であっても「犬お断り」だった。その点で、これは貴重なショット
タクシーの車内で
タクシーの車内で。左は河相さんの母
所用で訪れた東京大学構内で。河相さんの母と
東京大学構内で
当時はまだ珍しかったデパートのエスカレーター。現在の歩行指導ではエスカレーターの乗降訓練は必ず行われる

転居先の浜松市の自宅の門をくぐる河相さんとチャンピイ。河相さんは現在も浜松市で暮らしている。
チャンピイは、塩屋賢一の訓練を受ける前は他の犬とけんかをすることもあったという。アイメイトとなってからは、もちろん素通りである
チャンピイと歩いていた頃の河相さんをはじめ、ごく初期の使用者は杖を使っていた。ほどなくして、犬に全幅の信頼を寄せることが最良の安全対策だという確信から、左手にハーネス、右手には何も持たないというスタイルが確立した。一部には今も白杖との併用を促す団体があるが、アイメイト協会では一切認めていない
浜松の高台にて
河川敷を歩く河相さんとチャンピイ
浜松市内のガード下にて
列車をやりすごす。昔は遮断器のない踏切も多かった
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