アイメイト60周年 『チャンピイ』から「アイメイト」へ

2017年は、「アイメイト60周年」のメモリアル・イヤーです。
アイメイトの歴史は、国産盲導犬第1号の『チャンピイ』が、盲学校教師の河相洌(きよし)さんと歩み始めた1957年に始まりました。それから60年の歳月を経て、1300組を超えるペアが、アイメイト歩行を通じて歩行の自由を実現しています。

1957年にはどんなことがあったのでしょう?そこに至るまでの道と、現在へと続く道をご案内します。

戦後の混乱期に盲導犬の育成に成功

60年前の河相洌さんとチャンピイの歩行指導の様子。 後ろで見守るのは塩屋賢一

『チャンピイ』の生みの親で、後にアイメイト協会を設立する塩屋賢一は、第2次世界大戦が終結して海軍から復員後すぐに、メスのシェパード犬『アスター』を手に入れました。そして、子供の頃からの憧れだった犬の訓練士への道を歩み始めます。アスターに訓練を施し、警察犬の競技会などで入賞を重ね、1948年に家庭犬の訓練学校『塩屋愛犬学校』を設立しました。

訓練士としての賢一の腕は評判を呼び、愛犬学校には米軍関係者など当時の上流階級層が顧客につきました。経営が順調に進む一方で、賢一の中で「もっと社会の役に立つことがしたい」という思いが膨らみます。そんな中、海外の書籍などを通じて盲導犬の存在を知り、自ら育成することを決意。独学でアスターやその子らと体当たりで独自の訓練法を編み出します。まずは視覚障害者が必要とすることを知るために目隠しをして生活し、そのままアスターらと街を歩くことを繰り返しました。車に轢かれそうになったり、看板に頭をぶつけたりすることもしばしばだったといいます。

1949年までには、賢一独自の盲導犬訓練法と歩行の定義がほぼ確立しました。それは、既に盲導犬が活躍していた海外の事例を真似たのではなく、ゼロから実地による成功と失敗の積み重ねの末に生み出された純粋な「Made in Japan」のメソッドでした。しかし、当時の日本では盲導犬の存在そのものがほとんど知られていなかったため、しばらく使用を希望する人が現れない状況が続きました。

2人のパイオニアの出会い

河相さん、チャンピイと賢一(右)

一方の河相洌さんは、戦後、慶應義塾大学に在学中に視覚障害の治療のため休学。結局、視力を失ってしまいますが、当時はまだ全盲の視覚障害者が大学で学ぶという前例がない中、復学を自ら大学に掛け合い、実現させるというパイオニア精神の持ち主でした。

そして、父が外交官で海外生活が長かったこともあり、盲導犬の存在を子供のころから知っていました。犬が大好きだったことも手伝い、「盲人の自立は、歩行の問題を解決することにかかっている。盲導犬を使って歩行の自由を得たい」という思いを抱いたのです。

こうした思いを伝え聞いた米軍大佐が、「盲導犬に育ててみたらどうか」と、河相さんに譲った子犬がチャンピイです。アメリカのドッグショーのチャンピオン犬の血を引くから「チャンピイ」。そして、シェパード犬の関係者から「日本で唯一盲導犬を育てることのできる人物」として紹介されたのが、賢一だったのです。日本で初めて「盲導犬を育てたい」、「盲導犬と歩きたい」という2人のパイオニアが出会わなければ、アイメイトは生まれなかったかもしれません。

依頼を受けた賢一が河相さんを訪ねたのは、1956年の年明けのことでした。賢一は、いったんチャンピイを引き取り、寝食を共にしながら基本的な訓練を施しました。訓練において、賢一が大切にしていたのは「犬を愛おしむ心」です。アイメイトの訓練では、トリーツ(おやつ)などの物理的な「ご褒美」は使いません。逆に、むやみに叩くなどの「罰」も与えません。よく出来た時には心からの愛情を込めて褒め、使用者の身に危険を及ぼすような行為に対しては、時には犬に正しく通じるように厳しく態度で示します。これを繰り返すことで、人と犬との間に愛情を基本とした信頼関係が成立します。これが、60年の歳月を経て脈々と受け継がれているアイメイトの訓練の基本です。

60年前の夏の出来事

1957年の夏、賢一は、訓練を終えたチャンピイを河相さんに引き合わせ、歩行指導に入りました。最初は、チャンピイの歩くスピードに河相さんがついていけず、腰が引けてしまうような状態もみられたようですが、実際に何度も街を歩くうちにだんだんと息が合っていきました。時には、賢一が車を運転してわざと河相さんたちの前に突っ込んでいくというような荒療治も行ったといいます。そして、最後に「1.5キロほど離れた郵便局へ行って切手を買って帰ってくる」という卒業試験を行いました。河相さんとチャンピイはそれを見事にクリアし、国産盲導犬第1号のペアが誕生しました。この60年前の歩行指導は、河相さんの実家があった東京・大森の市街地で行われました。

 

現在の歩行指導は、アイメイトの使用を希望する人が4週間にわたって東京・練馬区のアイメイト協会に泊まりこむ合宿形式で行われ、卒業試験は銀座の路上で行われます。他のほとんどの育成団体が施設内に作られた訓練コースから歩行指導を始めるのに対し、アイメイト協会では初めから外に出て刻々と状況が変化する実際の路上で行います。
舞台と時代が変わっても、60年前に賢一が辿り着き、河相さんとチャンピイに伝えられた方法と精神が守られています。

アイメイト歩行と盲導犬歩行の違い

アイメイト協会で指導しているアイメイト歩行の定義は「全盲者が晴眼者の同行や白杖の併用なしで犬とだけで単独歩行できる」というものです。アイメイト歩行では、教えられたことを守れば、初めての場所であっても自由に安全に歩くことが可能です。これを実現するために、アイメイト協会では、賢一と河相さんが取り組んだことを、60年の歳月の中で発展させてきました。しかし、後を追って誕生し、異なる道を歩む他の10の盲導犬育成団体では、「視覚障害者が介助者の力も借りながら、通勤ルートなど決まったコースのみを歩く」といった形も取られているようです。総じて、盲導犬歩行の目標はアイメイト歩行よりも低くなっている場合がほとんどです。そのため、「アイメイト歩行」と「盲導犬歩行」は全く質の異なるものだと言えます。

単独歩行でポストに投函するアイメイト使用者。60年前の河相洌さんの卒業試験のイメージが重なる

チャンピイの時代はまだ「盲導犬」という呼称が使われていましたが、賢一は常々、「盲人を導く犬」を意味する「盲導犬」は、使用者との共同作業によって歩行を実現する犬の呼称としてふさわしくないと考えていました。そこで、賢一が新しく考え出したのが「アイメイト」という呼称です。「アイ」は「私」「愛」「目」を表し、「メイト」は「仲間」や「パートナー」を意味します。アイメイトは、我が国において、視覚障害者の目となって自由な歩行を実現する、唯一無二の存在なのです。