野崎朝光さん/アイメイト協会後援会設立メンバー

アイメイト後援会では、現在約270名の方が、ボランティアとしてイベントのサポートや募金、啓発活動など、さまざまな場面でアイメイト協会やアイメイト使用者をサポートしてくださっています。その始まりは1973年。当時大学生だった野崎朝光さんが、アイメイト協会創立者の塩屋賢一を慕い、「東京盲導犬協会後援会」という名の下にアイメイト育成事業を手伝ったことから始まったボランティア活動でした。現在は、香川県高松市で会社経営の傍ら、地域の人に向けての啓発活動や募金運動を続ける野崎さん。次の世代の人たちにその想いをつないでいってほしいと願っています。

野崎さん一家とリタイア犬のベルタ

 

落胆のなかで出会ったアイメイト協会創設者の塩屋賢一

——— どのようなきっかけでアイメイト協会(当時は東京盲導犬協会)を知ったのですか?

高校3年生の体育の授業でサッカーをしていたとき、ボールが顔面に当たり、左目が眼内出血してしまい、しばらく何も見えない状態が続きました。このまま失明してしまうのではないかと、とても不安な気持ちで毎日を過ごしていました。今でも左目の上半分は黒くなってしまっていてよく見えません。

そんなとき、偶然、ラジオで盲導犬の話を耳にしたんです。なぜか、とっても印象に残ったんです。話をされていたのがアイメイト協会の創設者である塩屋賢一さんだったのですが、まさか、その後、アイメイトの盲導犬事業を手伝うことになるとは思いもしませんでした。

 

——— なぜ、協会の事業を手伝うようになったのでしょう?

私立大学へ入学が決まって上京したのですが、その年は大学紛争の影響で東大の受験がなくて、他の一期校の倍率が跳ね上がったんですよ。そのおかげで第1志望だった国立大学に入れなかったんですよ。目が見えづらい状況は続いていたし、なんだかとてもつらかったことを覚えています。

そんなとき、ふと、ラジオで耳にした盲導犬のことを思い出して、何か手伝えることはないかと、思い切って塩屋賢一さんを訪ねたんです。もちろん犬が好きだったから役に立ちたいという気持ちもありましたけれど、もしかしたら私自身の目が見えなくなっていたかもしれませんでしたからね。

 

アイメイト使用者に対する理解・協力を求めて

——— それが将来の後援会につながっていくのですね。

塩屋さんが財団法人東京盲導犬協会を設立されたタイミングで、「後援会」という名前を使って協力したいと相談しました。忙しい塩屋さんに替わってできることをしたいと思ったんです。とはいえ僕ひとりの「後援会」でした。少しずつ大学の友人たちに声をかけるなどして、募金に立ってもらうなど、一緒に活動してくれる人を増やしていきました。

 

——— 当時は、盲導犬に対して社会の理解は進んでいなかったと聞いています。

最初に取り組んだのは、一般の人たちへの理解を広めることでした。とはいえ、当時(1970年代初め)は、盲導犬にとっても、使用者にとっても、厳しい環境だったと思いますよ。例えば、多くのホテルやレストランは、他のお客様の反応や盲導犬が噛むのではないか、排泄をしてしまうのではないかなどを心配して、使用者が盲導犬を同伴することに否定的な感触を持っていましたからね。

当時は手書きでガリ版印刷、すべて手作業で行っていました

 

——— そんな状況のなか、どのような活動をされたのですか?

お金のない学生が中心の活動でしたし、金銭的に協会に負担をかけることはできない状態でしたから、パンフレットはガリ版刷り、募金箱や署名をお願いするときに首からつるす板も、すべてベニヤ板の手作りでした。それらをもって、人がたくさん集まる吉祥寺や渋谷、銀座などの街頭に立ちました。飛び込みでホテルやレストランなどを訪ね、盲導犬が周囲に迷惑をかけることがないということを説明しにも行きました。間近で塩屋さんを手伝えたことは、私の人生のなかで何物にも代えられない経験だと、今も感謝しています。

 

活動のなかで知った「誰でも弱者になることはある」ということ

——— 塩屋さん、そして野崎さんに共感する人の輪が広がっていったのですね。

ひとりで始めた後援会でしたが、大学を卒業する頃には、メンバーが増えてきました。就職後は忙しくて、後援会に割ける時間も少なくなってきたので、私が中心になって後援会活動を続けるのは難しいと判断して、他のメンバーにお願いしました。そして現在も、実行力のある現会長を中心としたアイメイト後援会活動が継続されているのを見て、ありがたく頼もしく思っています。

現在の野崎さん。生まれ故郷の高松で元気に過ごされています。(写真は神戸にて奥様と)

 

——— 今でも野崎さんはアイメイト後援会の活動をされているのですか?

今は、生まれ故郷である高松で暮らしています。高松に戻ってきてからも、少しでも多くの人にアイメイト協会の活動やアイメイトについて知ってもらいたいと、家の商売である船屋の切符売り場に、ポスターを貼ったり、アイメイトのフィギュアや募金箱を置いたりしています。人口の少ない地域ですから、募金額は決して多くありませんが、少し自分のお金を足して、毎月協会へ送っています。

この地域の人は、アイメイト協会のポスターをいつも見ていますから、盲導犬の団体といえばアイメイト協会と思っていますよ。アイメイトやアイメイト使用者のことを知ってくれる人がひとりでも増えることが大切だと思っています。

家族の中心にはいつもベルタがいました

 

——— 今後の後援会に期待することはありますか?

日本で初めて盲導犬を育てたのは塩屋賢一さんが創設したアイメイト協会ですから、もっとその素晴らしさを広めたいし、多くの人に知ってほしいと思っています。そのためには、義務教育である小学校や中学校の授業で教えることや応援する仲間を増やしていくことが必要ではないでしょうか。後援会の活動にもっと若い人が参加してくれたらいいですね。

 

——— この記事を読んでくれている方にメッセージをお願いします。

塩屋賢一さんと出会って、そばで活動するなかで、「アイメイト使用者だけでなく、誰でも弱者になることはある。どんなに強い人だって弱者になることがある」ということを気付けたことに、とても感謝していますし、皆さんにもぜひ知ってほしいですね。私も故郷高松で、できることを続けていきたいと思います。

 

——— ありがとうございました。

2018年12月2日公開