自発的な積み重ねで「働ける」ことを実証

大学を出て25歳の時に失明した久我裕介さん(33)は、その当時学習塾を開業していた。「数学を教えていた時のことです。目の前の教科書の文字が突然グニャグニャグニャっと崩れ始めたんです」

徐々に視力が失われていく中、机の引出しから古い盲学校のパンフレットを見つけた。7歳の時に網膜色素変性症と診断された。両親はこの日が来るのを覚悟していたのかも知れないと思った。

落ち込んで部屋に閉じこもっていたある日、母が入ってきて「一緒に死のうか」と言った。「びっくりしちゃって。なんで母はこんなに苦しんでいるのだろう?と思ったら、スイッチが切り替わりました。本当に頭の中でカチッという音がした 」

とにかく一歩ずつ自立に向かって歩き出そうと決心した。

就職を前にパソコンのスキルを磨く

一口に「自立」と言っても、どこから始めればいいのか。久我さんは、ともかく点字や白杖歩行を覚えないと一歩も前に進めないと思った。だから、まずは盲学校の理療科に入った。

2年の時に地元千葉県の地方公務員試験を受ける機会があり、わずかに残っていた視力を頼りに自ら拡大読書機を持ち込んで受験した。問題を読んだり原稿用紙に作文を書くこと自体に悪戦苦闘したが、無事合格することができた。

そして、実際に働き出すまでの2ヶ月間、集中的にパソコンの勉強をした。「視覚障害を持って事務仕事をするには、パソコンが必須だということははっきりしていました」

パソコン検定を独学でクリアした後、日本盲人職能開発センターでエクセル(表計算ソフト)の勉強をした。さらに、パソコンの画面に表示されている情報や入力情報を読み取り音声化する「スクリーンリーダー」と呼ばれるソフトを手に入れた。しかし、日本では使える人がまだ少ないため、海外の開発元の英語のマニュアルしかなかった。それを読むために、中断していた英会話を再開した。

 

「障害者枠だから、法定雇用率があるからと、ただ職場に座っていればいいという存在にはなりたくなかった」

後に続く人のためにも、必要とされて働くことが最低条件だという信念があった。

ゆとりを持って一歩ずつ

最初の配属先は自宅に近い県税事務所だった。「ここで視覚障害者が働くのは初めて。君が何をできるのか教えてほしい」と上司に聞かれた。「待ってました」と、パソコンでデータの作成などができると答えた。

早速、自分仕様の機材を持ち込んでやってみると、実際の仕事の流れの中では、細かなことで苦労することもあった。それを一つ一つ潰していく形で、実情に合わせてソフトのシステムを日々改良した。やがて、以前は2、3時間かけてやっていたことが、1秒でできるようにもなった。2年間があっという間に過ぎた。

2009年に結婚。同時に千葉市内の職員能力開発センター(県庁職員の研修施設)へ異動した。新たな節目にさらに自立へのステップアップを図ろうと、アイメイトを持った。子供の頃からペットの犬が心の支えになっていたから、アイメイトとの出会いは視力を失って以来待ち望んでいたものだった。

新たな職場でも、日々の入力作業などの改良などを重ね、いつしか職場全体の仕事の効率化にも貢献。結婚も自分を変えた。看護師の仕事で忙しい妻に代わって洗濯をしたり、一緒に料理をしたりと、実家暮らしの独身時代よりも日々の生活の小さな喜びが分かるようになった。

「アイメイトと一緒に歩いていると、時々顔がニヤけているみたいなんですよね。以前よりも余裕を持って歩けるから、どこかで夕飯のしたくをしている匂いを感じたり。結婚とアイメイトとの出会いで心に余裕が生まれたんです」

目の前の仕事をちょっとずつでいいから改善していく。1年後、2年後にはそれが大きく花開く。そんな日々の積み重ねが心のゆとりにもつながる。そうやって自分が前向きに生きる様子を示して、視覚障害者の仕事や生き方の選択肢を増やしたい。最近、休日の恒例になった温泉に浸かりながら、そんなことを考えている。

 

アイメイト55周年記念誌『視界を拓くパイオニア』(2012年発行)より 

文・写真/内村コースケ 

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2017年5月15日公開