アイメイトに寄せる奥深き愛情

日本には11もの盲導犬育成団体があり、いずれも独立して活動している。アイメイト協会は、戦後、日本で最初に盲導犬育成事業を始めた塩屋賢一が設立した団体で、歴史・実績とも国内随一だ。第2位の「(公財)日本盲導犬協会」も、もともとは賢一が立ち上げ、後にポリシーの違いから枝分かれした団体である。

アイメイト協会は、賢一が存命な時代から「視覚障害者の自立をお手伝いする」という原理原則をぶれずに守り続けている。盲導犬が一般に紹介される時、ともすれば「かわいい犬がけなげに頑張っている姿」「犬とユーザー・支援者との感動ストーリー」といった面ばかりが、ドラマチックな演出を交えて強調されがちだ。しかし現場を長く見ていると、本来の姿が伝わっていないのではないかという思いが拭えない。

塩屋賢一は、アイメイト協会の本分は歩行指導を通じた「人間教育」であるというポリシーを貫き、「人が主役、犬は名脇役」という言葉を残している。賢一は子供のころから誰よりも犬を愛していた。それでもなお、あえて「人」を「犬」よりも先に持ってきたという事実は重い。

アイメイト及び盲導犬の使用者(ユーザー)の中には、複数の団体の犬を持った経験がある人もいる。静岡県沼津市の望月精二さんもその1人だ。日本盲導犬協会の盲導犬を2頭使用した後、現在は1頭目のアイメイトとともに歩んでいる。その経緯を詳しく聞けば聞くほど、犬にかける愛情の本質とは何かということに、思いを馳せざるを得ない。

突然視界が真っ赤に染まる

長距離トラックの運転手だった望月さんは、自分の考えを明快な言葉で伝え、間違っていると思うことは誰にでもはっきりと指摘する豪快な男だ。既にトラックを降りていた12年前、産廃処理場で重機を運転している最中に、視界が突然赤く染まった。糖尿病を起因とする症状により、目の中の血管が切れたのだ。すぐに病院に駆け込み、比較的症状が軽い右目は手術をすれば治ると言われたが、7回の手術を経て、結局は失明してしまった。

「最初に行った救急病院の女医さんが、白衣にミニスカでさ。『前見て、上見て、斜め上向いて』なんてやってるうちに『下見て』って・・・困っちゃうよな」。そんな軽口を叩く望月さんだが、7回もの手術の中には時に麻酔がうまくかからなくて、激痛に見舞われたこともあったという。そして、その結果が良くなくても前を向き続けた。盲人として残りの人生を生きるために、若い生徒たちに混じって盲学校に通った。そこで白杖歩行を覚え、時には女子生徒にセクハラを働く教師を糾弾するなど正義感も発揮した。

「盲学校に行っているうちに白杖でなんとか歩けるようになったよ。盲学校2年の時、障害者手帳をもらって3年目くらいかな。市役所に何かの相談で行った際に、『もしなんだったら盲導犬も頼んでみたら?』と言われ、富士ハーネス(日本盲導犬協会の総合訓練施設)に行くことにしたんだ。理由?近いからだよ」。盲導犬取得のための自治体の助成金は、ほとんどの場合、どの団体の盲導犬に対しても適用される。どこを選ぶかも本人の希望が尊重される。

 

「ちょっとかわいがりすぎじゃないですか?」

 

望月さんによれば、富士ハーネスでの歩行指導は、現地に泊まり込んで2週間、自宅に戻ってから2週間。アイメイト協会では東京・練馬区の協会に泊まり込んで4週間の歩行指導を受け、卒業が認められればそのままアイメイトと共に単独歩行で自宅に帰ることが許される。

「4週間の合宿の方が徹底していていいね。2週間だけで帰って来て、残りを家でやってもあまり効果がないと思う。家や地元でのことは、基本ができるようになってから自分で犬に教えること。そのためにもまずは自分が基本を覚えなきゃ。それをたった2週間ではできないと思うよ」

1頭目の担当の訓練士はとても丁寧で、犬にのめりこんでいる人だったという。夜も自分の部屋には帰らず、犬舎に寝泊まりしていたというから相当なものだ。その一方で、アイメイト協会の歩行指導員は、見る人によっては犬に対して一見ドライに映るかもしれない。

アイメイト協会では、歩行指導員1人あたり6〜8頭の訓練と歩行指導を担当する。4カ月間で犬の訓練を仕上げ、アイメイト使用希望者とマッチングしてさらに4週間の歩行指導を集中的に行うのがその仕事の根幹だ。視覚障害者に良い犬を渡し、基本をしっかり守りながら使ってもらうことが最終目標なのだから、候補犬を「自分の犬」として育てるような愛情のかけかたをしては、うまくいくはずがない。敬意を持って精一杯の愛情をかけながらも、決して犬を自分のものにはしない。その最後の一線を引くのが、アイメイトとして生まれた犬の幸せを最大限に考慮した本当の愛情だと言えよう。

何はともあれ、望月さんは1頭目の盲導犬には満足し、日常生活での歩行のレベルは白杖を使っていた頃よりも上がった。問題は2頭目だった。今度の担当訓練士は若手だった。まず、訓練中に耳を疑うような話を聞いた。「訓練中にも関わらず、犬を自分の実家に連れて帰ったというんだよ」。望月さんのその告白に、筆者は思わず「えっ?訓練士が自分の家に望月さんに渡す予定の犬を連れ帰ったということですか?」と聞き返してしまった。「そうだよ。後でセンターの責任者に『ちょっとかわいがりすぎじゃないですか?』といやみを言ったんだけどね」

担当訓練士は、歩行指導が終わってからも、月に1回ほど望月さんのもとを訪ねてきた。望月さんによれば、それはフォローアップ(追加指導)とは違う性質のものだったようだ。「こっちが頼んで呼んだわけではない。ただ『様子はどうですか?』とひょっこりやってくるんだよ」。そして、ある日、訓練士が「お漏らしはしませんか?」と聞いてきた。望月さんは、なぜそんなことを聞くのかといぶかしく思ったが、1週間ほど経ってから理由が分かった。ヘルパーさんが部屋の掃除をしていた際に、いつも犬が寝ている机の下の床がぐっしょり濡れているのに気づいた。それから毎日それが続いた。

 

「あなたに合う犬はいない!」

 

 

2頭目の盲導犬には、拾い食いの癖もあった、望月さんは、やがてパピーウォーカー(生後2ヶ月から1歳くらいまで候補犬を預かるボランティア。アイメイト協会では飼育奉仕者と呼ぶ)からの情報で、訓練に入る前から拾い食いと排泄の問題を抱えていたことを知った。実際、望月さんのもとに来てからも、犬用のおもちゃのロープを食べてしまったことがあった。協会に報告すると「おもちゃ遊びはほどほどにさせた方がいいですよ」と、トンチンカンなことを言われた。その後、またビニール製の手袋を食べて腸閉塞を起こし、訓練施設にいったん戻され、開腹手術で取り出すというアクシデントに見舞われた。犬が望月さんのもとへ戻ってきたのは約1カ月後のことだ。

もちろん、犬に悪意があるわけもないし、犬が悪いわけでもない。当然、望月さんもそれはよく分かっていて、毎日夜中に起きて排泄をさせたり、部屋から拾い食いの要因を排除するなど出来る限りのことをした。そして、飲み水の量を減らしてみると、寝小便が収まった。しかし、それを訓練士に報告すると、「この子は1日2リットル飲まないとだめなんです。元に戻してください」と言われた。夜中に起きて朝まで眠れない生活に逆戻り。肉体的にも精神的にも疲労がたまっていった。

第一に自分の自立した生活を守るために、そして犬のためにもこのまま放っておくわけにはいかない。言うべきことははっきりと言わなければならない。行政の担当部署に状況を説明した手紙を送り、訓練の責任者とじかに話す機会が設けられた。すると、「(担当訓練士は)まだ若いから」と言われた。「あきれかえっちゃったよ。訓練士という肩書を持っているんだから、『若い』では済まされない」。そういう思いがあったから、望月さんもその後の話し合いの中で少し強い言葉を使ったのかもしれない。最後には「あなたに合う犬はいないよ!」と言われたと、望月さんは憤る。

 

ひたすら歩いて信頼関係を築く

 

 

アイメイト協会の歩行指導は、「ハーネスを左手で持ち、左側通行を守る」などの基本をしっかりと身につけてもらうことを第一にしている。同時に、犬にも人にも、最も多くのことを教えていると言われている。

「アイメイト協会は他では教えないことも厳しく教えてくれると言うので、3頭目はアイメイトにすることにした」と言う望月さんは、「ブリッジ」(階段を探す)、「改札」、「アップ」(立ち上がる)などを、アイメイト協会に移って初めて教わったことに挙げる。「実際、歩行指導に入ると噂通り厳しかった。だけど、すごく勉強になった」と、その時既に10年選手の盲導犬ユーザーだった望月さんは言う。

アイメイト協会の歩行指導は、とにかくよく歩く。「実践あるのみ」で視覚障害者に歩行の自由をもたらした塩屋賢一イズムがそこにも現れている。「1日に1万2000歩くらい歩いたよ。(原則1人で4人を担当している)歩行指導員はその4倍歩くんだからすごいよね。雨の日もカッパを着て歩く。前の協会ではすぐに休んじゃったけど、そういう所も全然違ったな。午前中に歩いて午後も歩くというのも初めてだった。もう、『そんなに歩くの?』と言いたくなるくらい、とにかく歩く」

最初は辛かった。でも、歩行を積み重ねていくうちに、だんだんと快感に変わっていった。ある時点から、多くのアイメイト使用者が語る「風を切って歩く幸せ」が感じられるようになるのだ。

「この子(アイメイト)との関係も、だんだん良くなっていくのが分かるんだよ。歩行指導が後半になったころからかな、心が通じ合うっていうか、色々(言葉で)言わなくてもお互いに少しずつ分かってくるんだ」

 

謙虚に学び、基本を守る

 

アイメイト使用者は、時に「ノー!」と言いながらチョークチェーンを引いて、犬を厳しく叱ることがある。道端などでそれを見て、「かわいそう」「虐待だ」などと言う人がいまだに少なくない。しかし、考えてみてほしい。果てしない距離を歩き続け、苦楽を共にしてきた末に一心同体となったパートナーである。どうしてもそうせざるを得ない、何か理由があったのではと考えるのが普通ではないか。

いけないことをしたら叱る。良いことをしたら褒める。深い信頼関係に基づいた真の愛情があるからこそ、そのシンプルなコミュニケーションが成り立つ。ただ表面的な声色だけで闇雲に褒めたり叱ったりしても伝わらない。ペットの犬と暮らしている人も、自分と犬が歩んできた道を振り返れば分かるだろう。

望月さんのアイメイトは、4歳になったばかり。気力・体力ともに最も充実している時期だ。毎日2時間は歩く。1時間がせいいっぱいだった以前の2頭の頃には考えられないことだという。確かにアイメイトは歩行のプロだが、平均的なラブラドール・レトリーバーの体力と比べても、1時間でへばってしまうというのは、率直に言って少し不思議な感じがする。

「たくさん歩くから健康的になったね。行きたい場所はたいてい教えたよ。バス停2カ所、タバコ屋、銀行、コンビニ3カ所、電気屋、魚屋、スーパー・・・」。望月さんの日常は規則正しい。朝6時に起きて6時半にアイメイトにワン・ツー(トイレ)をさせ、10時20分に家を出てバスで駅前に出る。「キオスクに寄って、駅ビルにある八百屋、魚屋、肉屋、パン屋、和菓子屋などに行く。ショッピングセンターに足を伸ばして、障害者がやっている軽食喫茶に寄ることもあるな。あとは100円ショップか。最後に焼き鳥屋で一杯」。若い頃はトラックで日本中を駆け回っていた望月さんにとって、家でじっとしているのはさぞ苦痛であろう。

「アイメイトのことで今特に困っていることはないよ。ただ、俺が甘やかしすぎちゃってね。こんなことは歩行指導員には言えねえな」

アイメイト歩行の心構えの話になると、望月さんの根の真面目さが良く分かる。

「安全のことはいつも考えているよ。それには、教えられた基本をきちんと守ることだね。歩行指導員は自分よりうんと若い女性だったりするけど、『小娘が何を言っている』というような態度を取ってはダメだ。専門に勉強したことを教えてもらうんだから、年下だろうと関係ないよね」

基本を守るということは、「謙虚たれ」ということでもある。

 

 

文・写真/内村コースケ(2017年2月取材)

 

2017年6月13日公開