私の前に茨の道はない

高澤節子さんはマラソンランナーだ。これまでに数えきれないほどの大会に出場し、何度も表彰台に上がった。競技中は待機しているアイメイトも、晴れの表彰台には一緒に上がる。

 見えなくなってから見えてきたもの

スポーツウーマンらしく、はきはきと話す高澤さん。だが、50歳で失明した時は「半端じゃない落ち込みだった」と言う。それまでは普通に見えていた。角膜手術の拒絶反応だった。サッカー、テニス、剣道・・・。大好きなスポーツができなくなる。それ以前に、普通に歩くことさえ難しいのではないか。ネガティブなことばかりが頭に浮かんだ。1年ほど白杖を使ったが、一人で歩くのは難しかった。だからこそ、アイメイト歩行に賭けた。

アイメイトに出会ってから、「なんとかなるさ」と本来の楽天的な性格が少しずつ戻ってきた。「見えないのは事実だけど、逆に人の様子、本心の部分が見えるようになった」と今、高澤さんは言う。この人は一生懸命心を向けて接してくれている、目の前で話はしているけれど上の空。見えていた頃には上辺の表情に隠れていたものが、姿を表した。「見えないことは悪いことばかりじゃない」。気持ちが前向きになると、いつしか走ることが生きがいになっていた。

 

出会いが彩るセカンドライフ

視覚障害者のマラソンは、伴走者と一緒に走る。ロープを輪にしたものを介して心と体をつなぐ。若い人、男性、女性、年配のランナー。これまでの人生では出会えなかった色々なバックグラウンドの人と走ってきた。「このセカンドライフで一番いいことは、新たな触れ合いがたくさんあることです。以前の倍の倍(笑)」。それも、力を合わせて走るというフィフティ・フィフティのパートナー。なんだかアイメイトとの関係に似ている。

この明るいセカンドライフに導いてくれた『サントリナ』の引退を決めた日も、高澤さんは走っていた。7回出場して、毎回一緒に表彰台に上がってきた。「その年はサンの引退のことばかり考えてしまい、走りに集中できなかった。ところが、残り2キロになってハッとしたんです」。最後だからこそ、サンと一緒に表彰台に上がりたい。そこから猛ダッシュでゴール。表彰台で感謝の気持ちを伝えることができた。それが、気持ちを切り替える勇気を生んだ。大会後サンを奉仕家庭に引き渡し、2頭目と新たなスタートを切った。

 

若い人には絶対に負けない

「私は今だかつて寝込んだことがないんです」と明るく笑う高澤さん。日々の走り込みで体を鍛えていることもあるが、アイメイトの存在が大きい。「サンもマサオ(現在のアイメイトの愛称)もそうですが、具合が悪そうなそぶりを少しでも見せると、そばに寄ってきて心配してくれるんです。そうなったらやっぱり、起きて元気な所を見せたい。部屋の中で頭をぶつけて出血した時なんか、ずっと横に座ってたんですよ。犬ってそういう所、敏感ですよね」

そんな高澤さんだから、まだまだその時期は来そうにないが、「自分がアイメイトを使えなくなるまで走り続けたい」と言う。海外の大きな大会やウルトラマラソンなど、新たに挑戦したいレースも残っている。

 「今の自分なら、落ち込んだっていいことはないと自信を持って言えます。前よりも強くなった。若い人には絶対負けません。『私の前に茨の道はない。前進あるのみ』。いいモットーでしょ?」


アイメイト55周年記念誌『視界を拓くパイオニア』(2012年発行)より 

文・写真/内村コースケ 

2017年6月13日公開