生きる情熱を支えるアイメイト歩行

長野県下諏訪町のアイメイト使用者、西山英敏さんに初めて会ったのは、2018年の真夏のことだ。僕が写真を撮影している『アイメイト・サポートカレンダー』のモデルをお願いし、下諏訪から車で1時間半ほどの山梨県内のヒマワリ畑に行った。

西山さんもパートナーのアイメイトも、共に平均よりも大柄だ。僕の25年落ちの軽四輪駆動車の助手席に一緒に収まると、ぎゅうぎゅう詰めだった。そんな劣悪な環境でも、2人とも文句一つ言わず、山梨までのドライブに付き合ってくれた。本記事の写真でも分かると思うが、西山さんはとても穏やかな風貌の持ち主だ。実際、人にもアイメイトにもとても優しく接する。僕がこれまで出会った使用者の中でも、最もよくアイメイトに話しかける人だ。その口調は愛情にあふれている。

でも、「人は見かけによらない」とはよく言ったものだ。西山さんは、穏やかで優しいばかりの人ではない。それを確信したのは撮影の帰り、一緒に食事をしながら話した時だ。アイメイトや盲導犬全体を取り巻く現状といった、少し突っ込んだ話になると、口調は穏やかながら、西山さんの考えや言葉の端々には、高い熱量が秘められていた。

そんな西山さんは、「アイメイトを信用できるようになってから、やっと人を信用できるようになった」と言う。その言葉の裏には、強い感受性と熱い心を持つが故の、壮絶なストーリーが秘められていた。

絶望して町をさまよう

 

冬は凍結して「御神渡り※」が出現する諏訪湖の湖畔で生まれ育った西山さんは、画家かイラストレーターになるのが夢だった。小学生の頃から水彩で風景画や大好きな動物を描いていたが、中学に入った頃から見えにくくなった。

「だんだんと悪くなって、やがてデッサンに使う4Bの鉛筆の線が分からなくなってきて、もっと濃い8Bという鉛筆で描き始めたのですが、それも分からなくなってコンテを使い始めた。そして、そのコンテの線も見えなくなった時に、もうどうしていいか分からなくなって、フラっと家を出たんです」

絵にのめり込んだのには、訳があった。幼少時から、多発性骨軟骨腫という病気の影響で正座やスキップが苦手だった。そのことで周りにいじめられ、昨日まで仲が良かった友人にまで囃し立てられたこともあった。「集団の中では、小さな違いをチクチクと突かれるんですよね。それで人間嫌いになっちゃって、絵やスケッチの方に入り込んだんです。動物の絵は得意だったけれど、人間は描けなかったな」。

その絵すらも描けなくなったのだから、絶望は深かった。「フラっと家を出た」のは、完全に光を失った14歳の時。発作的に自殺場所を求めて町をさまよった。「家を出た後のことはほとんど覚えていない」というほど精神的に追い詰められていた。気がついた時には、救急車の中。後から分かったことだが、早朝の町を5時間ほど歩き回った末に、崖から落ちて気を失った。皮肉なことに、いじめの原因となった病気によって発達した軟骨がショックを和らげ、一命をとりとめたらしい。家族に思い切り泣かれたのを目の当たりにし、かろうじて我に返った。

※「御神渡り」=おみわたり。厳しい寒さと寒暖差によって湖面にできる冬の諏訪湖特有の氷の筋。これを神様の足跡だとする民間信仰がある。

 

目立たない存在から自己主張できる性格に

 

高校進学のタイミングでの中途失明。盲学校に進む前に白杖歩行の特訓を受けたが、指導の先生はスパルタだった。たった10分基本を教えられただけで、路上に放り出された。「普通はその段階で泣いちゃうか、ぶんむくれて投げ出すか。でも、僕はケンカしたんですよ。『10分(白杖を)振ったくらいで上手にできたら苦労しないよ!』と、思い切り怒鳴りました。今にして思えば、そうやって怒らせるのが先生の手だったのでしょうね」。

後から他の先生を通じて、「あれだけ喧嘩腰になれるガッツがあれば、ものになるかもしれない」と、白杖の先生が言っていたと聞かされた。中学までのあだ名は目立たない存在だから「壁の染み」。一方、高校では「瞬間湯沸かし器」だった。失明して自分をさらけ出す必要に迫られ、内に秘めた強い性格が表に出たのだ。

白杖歩行は、そうやって厳しく仕込まれた結果、技術的には問題なくできるようになった。でも、多発性骨軟骨腫の影響で手首に力が入らないため、30分、1時間と白杖を振ると腱鞘炎のような痛みが襲った。歩行手段として、とても自分には合わない。「杖を使わないで歩く方法はあるかな、と考えると、まずヘルパーさんが浮かびました。でも、それって一人で歩くことにはならないよな、と疑問に思いました。それで、あ、盲導犬なら杖を振らないでいいんだから、歩けるんじゃないかな、と・・・」。動物好きな自分にぴったりかもしれない。一筋の光が差した気がした。

 

犬を全身で抱きとめて流した涙

 

高校を卒業して、盲学校の高等部で鍼灸マッサージ師の資格を取った頃には点字もすっかりマスターしていた。「マッサージ師として少しは稼げるめどが立てば、あと足りないものはやっぱり歩行ですよね。中途失明者だとなおさら『歩きたいけれど歩けない』というストレスがたまる」。下諏訪には当時、ベテランの女性アイメイト使用者がいた。西山さんは子供の頃、ラブラドール・レトリーバーに切り替わる前の、その女性のジャーマン・シェパードのアイメイトを見かけたことがあった。

女性を訪ねてアイメイトを持ちたいと言うと、協会に連絡を取ってくれ、塩屋隆男・現代表理事が諏訪まで来て面接してくれることになった。一方、学校の先生たちは、「足に障害があるのに、(アイメイトと)長い間歩いたりしたらどうなるか分からない。せっかく資格も取れたのに足を壊したらどうするんだ」と反対した。「考え直さないか」と翻意を迫られたが、西山さんは「先生、僕、もっと歩きたい!」と強く訴えた。

家族と先輩使用者の女性は応援団だった。ただ、先輩使用者は、入店拒否などのマイナス面もあること、そして、「歩行指導は厳しいけれど、自分で決めたことだから途中で投げ出すことはできない」と、現実もしっかり伝えた。最初の歩行指導はその言葉通り厳しく辛いものだった。「犬の扱い方が分からないし、当然犬は言うことをきいてくれない。最初の2週間はさんざんでした」と、西山さんは振り返る。

担当歩行指導員には、体に限界が来たら休んでもいいと言われていたが、意地でも卒業する覚悟だった西山さんは、膝が痛くても構わず訓練を続けた。最初の単独歩行の試験では、ライトコーナーの指示を出すべきところを、反対のレフトにしてしまい、犬をパニックにさせてしまった。「それで犬が歩道から出そうになったので、飛び出ないように全身で抱きとめて・・・。あの時は本当に泣きながら帰った記憶があります」。それでも、「皆が4週間で卒業するところを、自分は6週間かかってもいい」と鷹揚に構えることでその後の課題は落ち着いてクリア。無事通常の4週間で卒業することができた。

 

アイメイトと北海道、九州にも

 

1頭目のアイメイト『シンシア』と下諏訪へ帰って来ると、やはり実際の生活の場でのアイメイト歩行はだいぶ趣が異なっていた。「歩道が途中で切れちゃって犬が混乱するようなこともあって、自分の頭の中にしっかり地図を描けるようにならないとまずいぞ、と。『確かあそこは白線だけで歩道を区別しているから危険だったな』とか、シンシアと実際に歩きながら昔のあらゆる記憶を呼び戻しました」。

そんな初期の頃は、後ろからお母さんがこっそりついてきていた。「そりゃあ、人の気配くらいは分かりますよ。でも、こっちも知っていて黙っていました。『アイメイトは、犬は犬だけど特別な犬なんだ』と分かってもらうには、実際に見せるしかないですから」。お母さんは、最初は駅までついてきたが、やがて駅までの道のりの中間点で帰るようになり、家を出て最初の角まで見送るだけになり、最後には全く見守りに出てこなくなった。「そうやって犬と一緒に信用を積んで、自分の中でも、もう一人でどこに行ってもいいよな、と自信をつけました」。

シンシアとは北海道旅行にも行った。九州旅行では、ちゃんぽんを食べようと長崎に立ち寄ったが、立て続けに入店拒否された苦い思い出もある。「確か3店舗断られたかな。犬のしっぽがだんだん下がってくるんですよね。自分のせいで断られているのが分かるから。『大丈夫、大丈夫、ここまで来たらもう1軒回っちゃおう。駄目だったらコンビニを探しておにぎり買おうね』って、励まし励まされて、4店目でなんとか食べられました。おいしかったなあ」。

知らない町を歩くのは大好きです。迷うのも好き。迷ったら人に聞けばいいんだから

 

「自分という演者しだいで変わる舞台」

 

現在のアイメイトが5頭目。中には若くして病死するという悲しい別れもあったが、30年間アイメイト歩行を続けてきた。自分が元気な限りギリギリまでアイメイト歩行を続けようと思っている。

人しだいで犬はいいふうにも動くし、ぎこちなくもなる。それが喜劇になったり、悲劇になったり。自分という演者しだいで変わる舞台に立っていると思っています

アイメイトに支えられていると感じることも多い。「左足元に犬1匹分の暖かさがあると、スーパーマンじゃないけれど、なんでもできるような感覚になる。不思議ですよね。それもアイメイトのオマケなのかな、うん」

過剰な動物愛護を主張し、ワーキングドッグを虐待扱いする世論も散見される。「だから、かわいそうだね、などと言われるのが一番辛く悲しい。電車に乗っていて、2000円渡されて『その子にお肉を買ってあげなさい』と言われたこともあります。その時は『その2000円を協会に寄付してください』と、協会の住所を教えました。『この子の後輩たちのドッグフード代になるから』と(笑)」

 

人を愛するがゆえに犬を信じ、人を信じる

 

取材の最後に、西山さんはアイメイトを持ったもう一つの理由を明かしてくれた。自分と同じく全盲で、姉のような存在の片思いの女性がいた。「デートするのに親やヘルパーさん同伴では恰好がつかないな、というのがありましたね。今から思うと、必死になって犬と歩けるようになりたいと思ったのは、僕が一人で動けるようになったら、少しはその人をどこかへ連れていけるかな、お茶を飲みに行ったりできるかな、と思ったからかもしれません」。

その女性は昨年、西山さんの誕生日に亡くなった。アイメイトと共に、一緒にコンサートに行ったのが人生で最も美しい思い出だ。心無いいじめのせいで人を嫌いになった少年が、人を好きになって犬と歩き始めた。これほど愛と情熱に満ちた話は、そうそうあるものではない。

子供の頃は、人間付き合いに疲れて壁を作っていました。それが自分を守る手段だと思っていました。アイメイトと歩くようになると、犬を完全に信用しないといけないんです。信じきれない犬に命なんて預けられないから。ということは、その犬を育てた指導員さんたちを信用しているということ。人間もまだ捨てたもんじゃないな、だったら信じてもいいかな、と変わりました。だから、今の僕しか知らない人は、元は人間嫌いだったと言うと信じられないでしょうね(笑)

 

文・写真/内村コースケ(2018年8月・2019年6月取材)

2020年1月29日公開