3.11からスタートしたアイメイト歩行

現在73歳の坂本光男さんは、毎朝5時前に家を出て、アイメイトと散歩する。時間にして1時間半程度、距離にして5、6km。夕方も同じように歩いて、1日の合計歩数は3万歩に達することも珍しくない。背筋をピシッと伸ばして颯爽と歩く。服装もいつもおしゃれで若々しい。最近のお気に入りは、「抜刀娘」という和柄のスカジャンだ。

そんな坂本さんが暮らすのは、福島県いわき市の住宅街。2011年の東日本大震災で大きな被害を受けた地域だ。坂本さんは3.11の当日、ちょうど1頭目のアイメイトの歩行指導を受けていた。9年後の復興した町並みを一緒に歩き、震災当時のことや最近の暮らしぶりを聞いた。

慣れない白杖の一人歩きで・・・

現在は、いわき市の中心部から3kmほどの自宅兼鍼灸治療院で一人暮らし。30過ぎで失明するまでは、出身地の埼玉県川越市で暮らしていた。「男4人の2番目。毎日が取っ組み合いです(笑)」。終戦後間もない昭和21年に生まれ、普通のサラリーマン家庭で育った。「当時はみんな貧しかったですけれど、あの時代なりの普通の暮らしだったんじゃないかな。食べるものも本当になかったし、つぎはぎだらけの服を着て、袖は鼻水でテカテカ(笑)。普通の子供ですよ」。今から思えば、明るい屋外から暗い部屋に入った時に、目が慣れるまで時間がかかることがあったが、目が悪いという自覚もなかった。

中学を出てすぐに働いた。しばらくは一つの仕事が長続きせず職を転々としたが、19歳で化粧品の卸問屋の社員に落ち着いた。やがて大好きな犬を飼い始めた。最初の犬はチワワのような真っ白い小型犬だ。犬と地道に、幸せに暮らしていたが、30の声を聞こうかという時に視覚に障害が出た。「それで鍼灸マッサージの学校に行きました。そこの同級生にいわきで治療院をやっていて人手が足りないからと誘われ、こっち(いわき)に来たのです」。その治療院で5年ほど働いた後、独立。今に至るまで第2の故郷、福島での生活が続いている。

いわきに来てから結婚・離婚を経験。その後もパートナーと暮らしていた。その間は一人で外出することはほとんどなく、歩行で特に困ることはなかった。ところが、10年前にパートナーの女性を病気で亡くしてしまい、悲しみの中、一人で白杖歩行することを余儀なくされた。「そんな日々が1年くらい続いたでしょうか。ある日、側溝に落ちてしまったんです」。膝を強く打って、「これじゃあ、まずいな」と思った。そして、知人がアイメイトを使って一人歩きをしていたことに思い至り、自分も大好きな犬と歩こうと決意した。

 

アイメイトと被災地の自宅へ

復興したいわきの住宅街を歩く

 

2011年の2月末に、東京・練馬区のアイメイト協会で歩行指導の合宿に入った。「もともと劣等生だから、スムーズにはいかなかったですね」と笑うが、訓練そのもので大きな苦労はなかった。ただ、高い建物が少ないいわきの町と、訓練コースになっている吉祥寺の繁華街などでの音の聞こえ方の違いには戸惑った。「ビル街を歩くと音が反響するようで、車の『シャリシャリシャリシャリ』という(走行)音がどっちから来るのか分からない。そういうことは実際に町を歩かないと分からないので、経験できて良かったですね」と語る。1頭目は、落ち着いてゆっくり歩くタイプのオスだった。

3月11日を迎えたのは、4週間の合宿が折り返し点を迎えようかという頃。地震があったその時、坂本さんは路上訓練に出ていた。大通りの歩道を歩いていた時に強い揺れを感じて立ち止まると、担当歩行指導員と補助スタッフが、とっさに坂本さんと犬を囲うようにして守った。歩行指導員の口から、「道路が波打ってるよ」という言葉を聞いた。やがて、ガラガラと物が落ちる音も聞こえた。「あの音なんですかね?と聞いたら、『瓦が落ちたんですよ』って」。その時は自宅がある東北が未曾有の大惨事になっているとは知らず、その日の歩行指導はそのまま続行された。

東京でも停電や物資の不足などの混乱がしばらく続いたが、残りの歩行指導はなんとか継続された。当然、地元のことが心配だ。「懇意にしていた治療院のお客さんに連絡したら、やっぱりその人も避難していた。私の家は無事だけど、茶碗だコップだなんだと全部棚から落ちているから、『避難所から戻ったら片付けてあげるから、それまでは家に帰ったらだめだよ』と言われました」。後に、自宅は修繕が必要な半壊状態だったと分かった。

 

自宅近くを通るJR常磐線は震災から9年後の2020年3月14日にようやく全線再開した

 

4週間の歩行指導を卒業すれば、皆、アイメイトと単独歩行で意気揚々と自宅に戻る。しかし、坂本さんの場合は、記念すべき1頭目との直帰は叶わず、ひとまず川越の実家へ。10日ほど実家で過ごしてから、高速バス路線が復旧したと聞いて、いわきへ向かった。「道路が波打っていて、バスもふんわかふんわか走っていました。バス停を降りると、やっぱり道路が持ち上がったりなんかしていて、犬はそこで止まる。歩道の段差ではないことを確認してGOと言って進む。そんなことを繰り返して、本来なら20分で歩ける道のりを30分くらいかけて家に帰りました」。

その頃にはライフラインも復旧していてスーパーには食料品も並んでいたから、当面の日常生活には困ることはなかった。その点では、隣の宮城県あたりよりはましだったかもしれない。しかし、いわきと言えば、放射能漏れ事故が起きた福島第一原発の近く。不安はなかったのだろうか。「その当時の市長が『いわきは大丈夫だから』と言っていたんでね・・・。でも、子供がいる家庭なんかはみんなどこかへ避難して、一時はゴーストタウンだったらしいですよ。まあ、私は当時でもう64歳だったから。放射能浴びても浴びなくても、長生きする人は長生きするし、なんてね(笑)」。9年経った73歳の今も、至って健康体だ。

 

朝夕の散歩の途中でストレッチをするのが日課

 

ハーネスが壊れた理由は・・・

生活が落ち着くほどに、自由に一人で外出できるアイメイトがいる生活の快適さを感じた。もともと犬が大好きで、続けて小型犬を飼ってきただけに、常にそばにぬくもりがある暮らしが戻ってきたことも大きな癒やしになった。それでも、アイメイトとの絆がより確かなものに深まるまでには、1年くらいかかったという。「なんて言うのかな、なかなかツーと言えばカーという感じにはならなくて、そのたびにコーナーにつまづいてみたりね」。

特に困ったのは、ハーネスをすぐに壊してしまうことだった。胴輪とハンドルをつなぐ部品が、いつの間にか壊れてしまうのだ。最初は、どうしてそうなるか分からなかった。4回壊したところで、協会の原祥太郎歩行指導部長がフォローアップに来て、歩行時に左に寄り過ぎてハーネスがブロック塀などにたびたび擦れていたことが分かった。「でも、原さんがハーネスを持って歩いてみると、ちゃんと擦らないで歩くんですよ。やっぱり、(犬のせいではなくて人によって)違うんだなあって(笑)」。

安全なアイメイト歩行の基本はキープレフト(左側通行)。坂本さんもアイメイトもその点で間違った歩き方はしていなかったが、少々忠実に守りすぎていたようだ。道の端から少し間を空けて歩く練習を繰り返すと、よりスムーズに歩けるようになった。以後、ハーネスを壊したことはない。

朝夕の散歩のほかに、アイメイトとよく行く場所は「郵便局、自分と犬のお医者、それと以前は駅前の飲み屋街にもよく行ったな」。道に迷うことも時々ある。そういう時は、「すみません。迷子になりました」と遠慮なく通行人に聞く。「そうすると、中学生だとか高校生とか、男の子でも女の子でも親切丁寧に教えてくれますよ。そっちの方まで一緒に行ってあげるわとか、一緒に行くよとか。白杖よりもアイメイトが居ると、よく教えて頂ける。それが得な点かな」。

 

 

リタイア犬の真の幸せのために

1頭目は9歳半で引退させた。まだまだ元気だった。「使用者仲間に『リタイア犬奉仕をしてくれる人だって、衰えてから毎日毎日お医者通いじゃつまらないじゃない』と言われてね。『なるほどそうだな』と思って、奉仕の人も一緒に歩ける楽しみがあるうちに離すことにしました」。協会にその旨伝えると、協会にリタイアさせた犬を預けに行ったその足で、次の歩行指導に入ることになった。だから、寂しい思いをする間はなかったと笑う。

「ある人に聞いたらね、『あのね、坂本さん、見送りなんかしたって、犬は(リタイア犬奉仕の)新しい人にしっぽを振ってちっとも振り向いてくれないよ。今まで使っていた自分が涙流しながらそこに立っていても、しっぽ振ってスイスイ行っちゃうからね』と言ってね。『ああそうなんだ、じゃあ見送ってもしょうがないな』なんて思っているうちに、もう次の犬が来ましたから。今度の犬はどんなかな?ということで頭がいっぱいですよ」。この言葉には、多分に照れ隠しもあるだろう。「元気なうちに、スムーズに奉仕者のもとへ旅立たせる」。それが坂本さん流の初代アイメイトへの感謝の気持ちの表し方だった。

それと、行き先はできるだけ遠い方がいいと思いました。近所で『リタイアしたらその犬ちょうだい』と言っていた人もいたんですよ。でも、私がそばを通ると思い出してかえってかわいそうでしょ。だからその人には『うーん、ダメ』って言ったんですよ

2頭目のアイメイトは小柄なメスで、今4歳半。元気で活発な性格だ。「引っ張られるような感じで訓練が始まりました。グッグッグッっと、早足で歩く感じでしたね」。今ではすっかり息が合い、坂本さんの歩調に合わせてちょうどよいペースで歩けるようになった。昨年の学園祭の啓発イベントで再会した担当歩行指導員に、「前を向いて胸を張って堂々と歩いている姿が素敵でしたよ」と言われたのが、とても嬉しかった。

 

 

アイメイトは甘えん坊

これからの日本は、少子高齢化がさらに進んでいく。坂本さんのような独居で高齢なアイメイト使用者も増えていくだろう。「私もずっと家族がいればアイメイトは持たなかったと思います。やっぱり私なんかのような一人暮らしの方がアイメイトを必要としているのかな。若い人でもアイメイトがいた方がいい場合も多いと思いますけどね」。現状を見渡してみると、家族と暮らしていても、自立志向が強い人ほどアイメイトを希望する傾向が強いと感じる。一方で、若い世代を中心に、家族の援助や同行援護サービスで十分だからと、アイメイトの必要性を感じないという声もある。「歩行の自由」と「自立」の関係を改めて見直す時期に来ているかもしれない。

 

 

特に今のアイメイトは女の子だからか余計に、みんなかわいいかわいいって言ってくれますよ。甘えん坊です。アイメイトはみんな甘えん坊です

そう言って目を細める坂本さんの足元で、起きている時は吠えないアイメイトが、「クゥーン、クゥーン」と寝言を言っていた。

 

 

文・写真/内村コースケ(2020年1月取材)

2020年4月22日公開