アイメイトがいるから積極的になれる

背筋をピンと伸ばし、しっかり腕を振って、まっすぐ前を向く。高橋雅枝さんは、特に歩く姿勢が美しいアイメイト使用者の一人だ。

最初から模範的なアイメイト歩行ができる人はいない。高橋さんの場合は、運動神経抜群だから、スポーツをしていたから、といったバックグラウンドもない。普段はどちらかというと控えめで照れ屋な方だという印象だ。それが、ハーネスを握るとパッと全身に自信がみなぎる。パートナーに全幅の信頼を寄せているから、行動も気持ちも積極的になるのだ。

 人前で本気で叱ったことがきっかけに

 

 

1頭目の「ナイル」と歩き始めたのは、音大に通っていた20代の時。まだお互いが初心者マークをつけていた頃、大勢の学生で賑わう大学のロビーで、ナイルが下を向いて拾い食いをしているような仕草を感じた。「No!」。高橋さんは、その時初めて、思い切りナイルを叱った。

「それまでは、かわいそうとか、人前で大きな声を出すのが恥ずかしいという気持ちがありました。本気で接していなかったのかもしれません。こちらのそういう感情は犬にも伝わるので、なめてかかられていたのだと思います」

最初のころは、ワン・ツー(指示をして適切な場所で排泄させること)がうまくいかなかったり、ナイルはちゃんと階段の手前で止まっているのに自分だけ進んでしまって落ちるといった失敗もあった。ナイルが地面に落ちているものを気にすることもしばしばだったが、ロビーの一件以来、それがぴたりとなくなった。合わせて、歩行やワンツーもスムーズになっていった。おそらく、高橋さんの歩く姿勢に自信がみなぎってきたのも、パートナーになって半年が過ぎたこの頃からだろう。

「褒めるのも最初は大変だったんです。私は犬を飼ったことがないので、犬に『話しかけてください』『褒めてください』と(歩行指導員に)言われても、最初の頃は物に話しかけているような感じで、人に対するのと同じような接し方ができなかったんですね。上手に褒められるようになったのも、人前で本気で叱ったことで何かが吹っ切れてからだと思います」

 

点字の楽譜で音楽の道へ

 

 

もともと普通よりは見えづらかったが、前の方の席に座って眼鏡をかければ黒板の字は見えていたので、高校まで一般の学校に通った。子供の頃に習い始めたピアノをずっと続け、ピアノの調律師を養成する専門学校へ。しかし、その頃には視力の低下を顕著に感じるようになり、就職を前にあらためて眼科を受診した。「その時に初めて網膜色素変性症という病名が分かり、将来失明すると言われました」。当然、ショックは大きかったが、障害者手帳を取得して企業の特例子会社の事務職に就いた。

就職してから、朝起きたら昨日よりも見えにくくなっているという具合に、視力はどんどん落ちていった。「仕事は最初はなんとかこなしていたのですが、やがてルーペを使うようになり、それから拡大読書器になり、それでも無理となって辞めました」。その後、視覚障害者訓練施設で点字や白杖歩行を学び、大好きなピアノを続けるため盲学校の音楽科に入った。そこで点字の楽譜に出会い、よりピアノを深く学ぶ勇気を得て、音大に進んだ。

「得意な曲はないです。みんな難しい。小品と呼ばれる作品が好きですね。中でも、北欧のほとんど知られていない作曲家の情景描写に優れた作品が好きで、勝手に情景を思い浮かべながら聴いたり弾いたりしています」

 

 風を切るアイメイト歩行

 

 

郊外にある大学へは当初、白杖で通っていた。「白杖歩行は、細い棒で探りながら歩いているので、気をつけていてもぶつかったりします。障害物がないか、常に気を張って歩いていました」。電車を乗り継いで、駅から丘の上のキャンパスまで歩く。たどり着いてからも教室間の移動があり、それだけでへとへとになってしまう毎日だった。ある時には、工事現場に停まっていたトラックの荷台に思い切り顔をぶつけ、歯を折ってしまったこともあった。杖では足元の空間を探るので、トラックの荷台のように下の空間があいていて顔の高さに飛び出ている障害物には気づきにくい。その一件以来、このままでは大学生活を続けるのが難しいと感じた。

コンサートなどで知り合ったアイメイト使用者を通じて、アイメイト歩行の快適さは聞いていた。大学1年の終わりに申請し、2年の夏休みに歩行指導を受けた。「よくドラマなどで、パートナーとの出会いのシーンを感動的に作るじゃないですか。でも、ナイルはすごくクールな子でした。初対面の時に、私の腕をペロッと舐めただけで、あとはもうずっと寝ていました」

落ち着いた性格のナイルは、いつも静かに高橋さんの横についていた。「私も初めてなので、どう接していいか分からない。お互いに全然愛想がない冷めたカップルだったと思います(笑)」。それが、大学のロビーでの“拾い食い事件”をきっかけに、強い信頼関係で結ばれたパートナーになったのは冒頭で書いた通り。「危険とか、疲れるといったストレスが解消されました。絶えず障害物に気をつけていなくても、足さえ動かしていれば犬が歩いてくれるような感じ。頭上の障害物もしっかり避けてくれますから。それはそれは、本当にアイメイトを持って良かったな、と思いました」。

ナイルはとても歩くのが速くて、人混みの中もスムーズに、人を追い抜いて歩いていました。それで自分の気持ちも積極的になって、色々なことにチャレンジしたいという思いが強くなりました

やがて視覚障害者向けのパソコン教室に通い始め、今はその教室や盲学校のパソコンの講師を務めるまでに。しばしば旅行にも行くようになり、アウトドア体験のアメリカツアーやアイメイト使用者仲間と沖縄でスキューバダイビングにチャレンジしたこともある。

 

 

利口な不服従に救われる

 

2頭目のアイメイトはナイルと同じメスだったが、初対面の様子はクールなナイルとは正反対だった。初めてパートナーと出会う歩行指導2日目の午前中は「ハネムーン」と呼ばれ、自由に一緒に過ごすが、その時から名前を呼んだだけでパッと起きて、高橋さんの顔をペロペロ舐めたりと積極的。最初からリラックスしてお腹を見せて寝るような天真爛漫さがあった。反面、歩く時はとても慎重で、速い歩調でスイスイ歩いたナイルと比べてはいけない、と自分に言い聞かせながらの歩行指導になった。

現在の3頭目のパートナーは、5歳になる初めてのオス。とても真面目な表情で歩く様子が印象的だ。「今の子は、仕事をするのが本当に大好きなんですよ。午前中に出かけて、また午後も出かけて、夜も出かけてもしっぽをぶんぶん振ってものすごく嬉しがります。出かけるのはいつでも楽しそうですね」。

特に、アイメイトの「利口な不服従」には何度も救われた。「前に車があったり、台風の後で木が倒れていたりすると、私が『Go』と言っても進みません。駅のホームで、私が電車があると勘違いしてドア行け、ドア行けと言った時も、犬は『無理だよ、ドアないよ』と絶対に進まない。そういう時、こっちは『え、なんで止まってるの?』と最初は焦るのですが、冷静になって周りを判断すると、障害物があったり先に何もないことが分かるんですね。最近はその様子を見て周りの方が声をかけてくれることも多くなりました」。

 

 

 自立心を支えるアイメイト

 

 

大学を卒業してからは、長年東京都内で一人暮らしをしながら職場へ通勤していた。幸い、時差通勤ができる職場だったこともあり、始業時間がラッシュ時とずれていたので、アイメイトとの通勤に苦労はあまりなかったという。「大変だったのは、家探しです。視覚障害者で犬がいて、ピアノを弾くという“三重苦”でしたから(笑)」。門前払いはざらで、アイメイトはペットではないと説明した末にかろうじて入居できても、壁が薄くてピアノの練習ができず、すぐに引っ越したこともある。あまりに家が見つからず、アイメイト歩行をやめようと思ったこともあった。結局、都内で3回引っ越しを余儀なくされた。「以前に比べて入店拒否はずいぶん減ったと感じますが、家探しの苦労は今もあまり変わっていないのではないでしょうか」。

1年半前に埼玉県の実家に戻り、演奏活動とパソコン講師の仕事をしている。パソコンを使いこなすようになってから、活動の幅が広がった。点字の楽譜を五線譜の楽譜に書き変えたり、見える人とメールでやりとりをしたり、点訳ソフトを活用したりと、見える人との垣根が低くなるのがパソコンの最大の利点だという。

一方で、視覚障害者をサポートするAIなどがいくら進化しても、やはりアイメイトは絶対に必要だとも言う。

アイメイトと歩けば安心安全なのはもちろんですが、生き物と一緒にいるという癒やしは機械では得られません。視覚障害者も、責任感とか、社会参加をするための自立心を持たなければいけません。アイメイトはそれを歩行と存在の温かさで後押ししてくれます

 

 

文・写真/内村コースケ(2020年3月取材)

2020年6月25日公開