生きた目がそばにある安心感

現役世代のアイメイト使用者には、共働き世帯も多い。東京都在住の磯村千夏さんの場合は、夫の和紀さんも視覚障害者で、共に鍼灸マッサージ師として別々の職場に通勤している。アイメイトと3人暮らし。夫婦揃って外出する時は、アイメイトと千夏さんが前を歩き、白杖を手にする和紀さんは空いている方の手で千夏さんの腕や鞄の紐に掴まってついていく。

その光景だけを見ると“婦唱夫随”の構図に見えるが、それぞれに自立した現代的な夫婦だ。お互いの仕事や趣味には干渉せず、その一方で、休日には揃ってショッピングやレジャーを楽しむことも多い。歩行の仕方についても、自分流を貫く。千夏さんはアイメイトを持つと決めた時、特に夫に相談しなかった。和紀さんはというと、アイメイト歩行の自由度などは認めつつ、自分に合っている白杖歩行を続けている。そんな「マイペースで仲がいい」夫婦の日常と、千夏さんの職場でのアイメイトライフを聞いた。

マッサージの仕事は天職

 

 

千夏さんは約20年間、読売新聞東京本社のマッサージルームで働いている。コロナ禍の状況によって時短営業もあるが、平常時は月〜金の10〜18時の勤務。自宅から大手町の会社まで、私鉄と地下鉄で乗り換え1回の約1時間通勤だ。アイメイトを持つ前も今も、特に通勤で困ったことはないという。

「私の場合は白杖で歩行できなかったというわけではなくて、選択肢の一つとしてアイメイトと歩きたいと思いました。抽象的な言い方になってしまうかもしれませんが、生きた目が側にあるというのはやっぱりすごく助かる。訓練された犬が生の目で見てくれれば、人間同等の誘導をしてくれる。人と歩いているのに近い形で歩けます」と、アイメイトとの毎日の通勤の快適さを語る。

社内での勤務場所は、メインエントランスからエレベーターで上階に上がり、突き当たりにあるマッサージルーム。社員の福利厚生施設として、本社に勤務する新聞記者や営業マンなどが利用する。輪転機が地下にあった旧社屋の時代には印刷の現場で真っ黒になって働く人たちも常連だった。「職種によって体の辛いところも違ってきます。会社内のマッサージルームといってもさまざまな職種の人が利用するので、町で開業している治療院と仕事の内容や質はあまり変わらないかもしれません」。平常時には、同僚と交代で1日に6人ずつ、計12人のお客さんを受け入れている。

そんなマッサージの仕事にやりがいを感じている。「コロナ禍になって緊急事態宣言が発出された時に、私たちは自宅待機になったのですが、(緊急事態宣言が)明けてマッサージルームが再開してすぐに来てくださったお客さんが、『ああ、やっと開いてくれた、良かったよ、待ってたよ』って言ってくださいました。それを聞いて、本当に有り難いと思ったし、自分はこの仕事が好きなんだなあ、とあらためて気づきました。その日家に帰って、思わず『ああ、楽しかった』って、言いました。マッサージは案外天職なのかなって思っています」。

 

 

職場にワン・ツー(排泄)場所があるのがありがたい

 

 

社内でのアイメイトの待機場所はマッサージルームに隣接する事務室。勤務中はここでおとなしく寝ている。休憩時間に社員食堂や売店に移動する時は、もちろんアイメイトと一緒。「頭の中に地図を描いて、割と社内も自由にあっちこっち歩いていますね」。いつも同じルートばかり歩いていると、アイメイトが「どうせこの道でしょ?」と勝手に進んでしまいがちになってしまうという。そのため、千夏さんは、たとえば日によってわざと乗るエレベーターを変えている。「低層階用に乗ってみたり、高層階用に乗ってみたり、中層階用に乗ってみたり。アイメイトに『次は何をするんですか?』と主人の指示を聞く姿勢を常に持たせておくために、社内でも社外でも、あえて一定のルートに固めないように行動しています」

入社当初は白杖で通勤していた千夏さん。2年後にアイメイトを得たが、当初からアイメイトと一緒に行動する千夏さんに、社内では皆自然に接してくれたという。「私が社内で初めてのアイメイト(盲導犬)使用者だったのですが、担当部署の方が、仕事中の犬に『触ってはいけません』『声をかけてはいけません』と、一生懸命広報してくださいました。町中ではコンビニなどで立ち止まっていると後ろから手を出して触っていくマナー違反の人もいますけど、社内では本当にありがたいことに、そういう人は全くいません」

アイメイトを伴って通勤する人にとって、「一番のネックになるのは、会社内でのアイメイトの排泄場所」だと千夏さんは言う。多くの企業・団体ではアイメイト(及び盲導犬)使用者を受け入れた経験が乏しく、排泄場所の確保にも苦労しているようだ。その中で、読売新聞東京本社では、千夏さんがアイメイトを持った当時の旧社屋の時代から、専用の排泄場所を用意している。現在の社屋では、裏口を出たすぐの敷地内に屋根と水道のある排泄場所がある。アイメイトに排泄させる際には、使用者が「ワン・ツー・ワン・ツー」と号令をかけながら自分の周りをぐるぐる歩かせて促すが、そのスペースは十分に確保されている。小便は備え付けの水道ホースを使って流せば良い。天井があって、雨の日も濡れずに済む配慮もありがたい。

快適なワン・ツー(排泄)場所をきちっと準備してくださっているおかげで、アイメイトの体に負担をかけることなく、安心して勤務できます。本当にありがたいことです

 

 

 

「盲学校に行きたくない」と泣いた子供時代

 

 

生まれは長崎県長崎市。中学の途中までは普通校に通っていた。「網膜色素変性症なのですが、子供の頃は少しは見えていました。通学も白杖を使わずに普通にしていましたし、体育の授業もみんなと一緒に受けていました。席を必ず一番前にしてもらうとか、板書を書き写す時は席を立って黒板まで見に行っていいなどの配慮はしてもらっていました」。

小学生の時、父母と祖父母が集まって、千夏さんを「盲学校に行かせた方がいいと医者に言われた」と話しているのを偶然聞いてしまった。「その当時は盲学校ってどういう所か知らなかったので、暗いイメージだったんですよ。だからそこにやらされると聞いた時はショックで『行きたくない』と泣きました」

勉強が好きで、将来は学校の先生になりたいと思っていた。それなのに、中学に上がってから教科書や黒板の字が見えなくなり、「もう勉強についていけない」と思った。そして、両親に「自分の頭がどうこうではなくて、見えないがために勉強ができない。もう無理」と、自ら盲学校への転校を申し出た。そして、東京の全寮制の盲学校で、和紀さんと知り合った。

「お互いに第一印象は最悪だったんですよ。和紀さんは名古屋の都会の人で、なんか、つんとしていて怖いなと思っていました」。「いや、(こっちの印象も)似たような感じだよ」と和紀さんが応じる。それがだんだんとお互いを知るにつれ「面白いやつかもって(笑)」。卒業後、22歳で結婚した。

 

 

いたたまれない気持ちになった白杖歩行での出来事

 

 

アイメイトを得ようと思ったのは、2004年の秋。「もともと自分たちの進路についても、お互いに話し合うというよりは、自分で決めて『こうしたから』『あっ、そう』という感じでした。アイメイトをもらうと決めた時も、確か『もう決めたから』って」。「そうだね。『ふーん、いいんじゃない』と、それだけだったと思う」と言う和紀さん自身は、白杖歩行に不自由を感じていないから、今のままで良いと思っているそうだ。

千夏さんがアイメイト歩行を始めようと思ったのは、前述したように、そばに「生きた目」が欲しかったからだ。実家で犬を飼っていて、もともと犬が好きだったことも大きい。そして、白杖で歩いていた当時、女性ならではの悩みもあった。「白杖を持っている女性って、痴漢に遭いやすかったり尾けられたりすることがあるんです。うら若き乙女だった頃は、私もそういう目にちょくちょく遭ったので、大きい犬が一緒にいればボディガードとしても良いかな、とは思いました」

そして、アイメイトを得る決断を最終的に後押しした出来事があった。職場がある大手町を歩いていた時、「前を横切ったおばあちゃんが白杖に引っかかって転んでしまった」と千夏さん。そして、和紀さんは、その日帰宅した時の千夏さんの様子をよく覚えていると言う。「明らかに向こうの不注意なのに、こっちが謝らなければいけないことに、どうしても納得いかないと言っていたね」。「そう、あの時私、泣きながら帰って来たのね。もう電車の中からわんわん泣いていて。向こうは特に言葉では強く責めなかったですよ。でも、自分は悪くないという態度は明らかで、いたたまれない気持ちになってしまいました」

 

「そんなに褒めてくれるなら俺しちゃおっかな」

 

 

現在のアイメイトが4頭目。初めてのオスだ。「最初はオスと接したことがないから大丈夫かな、と思ったのですが、オスの方が単純なので逆に扱いやすい。ひたすら褒めると調子に乗ってやってくれるので(笑)。たとえば、ワン・ツーの場面で、女の子は今はしたくない、この場所嫌だとなったら、絶対にやらないんですよ。でも、この子は最初は、『え?俺したくないけど』って言っていても、1歩でも2歩でも回ってくれたら『あ、そうそう、偉い。グッド、そうそうそう、上手だね』って言い続けていると、『え?そんなに褒めてくれるなら俺しちゃおっかな』という感じでやってくれるので、男って単純だなって思います(笑)」

休日には家を出て初めてのコースを数時間散歩することもある。道に迷っても周囲の人に聞けばなんとかなる。そんな小さな冒険が日常を彩り、アイメイトとの絆を深めている。でも、緊急事態宣言が出て町から人通りが消えた時には、さすがに困った。「外を歩いている人はいないし、お店はやっていない。人がいたとしても自転車で通り過ぎていくので声をかけられない。やっと見つけた人に現在位置を聞けたのですが、自宅まではまだ遠いことが分かりました。でも、まあ、アイメイトがいるからなんとかなるかという感じで。アイメイトに『どうしようかね、ここどこだろうね』と話しかけながら、結局2時間くらい迷った末に帰ってくることができました」。

夫婦ともにお酒が好きで、ビールを片手に野球観戦を楽しむことも。ラジオの実況を聞きながら試合経過を追い、球場の雰囲気を楽しむ。コロナ前には温泉旅行にも度々行っていた。一方で、千夏さんは和太鼓を習ったり、和紀さんはガンプラ(アニメ「機動戦士ガンダム」シリーズのプラモデル)作りに凝ったりと、それぞれの趣味の時間を大切にしている。家事も無理なく分担。お互いが肩の力を抜いていられることが、夫婦円満の秘訣なのだろう。

 

 

 

アイメイトがいると、道が分からなくても、違う道でも帰れるので心強いですね。それに、犬が好きな人が声をかけてくれるし、こちらから声をかけた時の反応がいいので、人に(道を)聞きやすくなりました

 

文・写真/内村コースケ(2021年4月取材)

 

 

 

 

 

 

 

 

2022年4月27日公開