アイメイト歩行とは、自分の足で歩くこと

視覚障害があるからといって、子育てをあきらめる必要がないことは、多くの実例が示すまでもない。アイメイト使用者にも、現役のママ・パパが大勢いる。一方で、障害の有無にかかわらず、核家族化が進み共働きが増えるにつれ、子どもの病気などの緊急事態に人の手が借りられず、母親か父親が一人で対処しなければならないシーンが増えているのも事実だ。

アイメイト歩行の定義は、「全盲者が晴眼者の同行や白杖の併用なしで犬とだけで単独歩行できる」ことだ。これに沿って、アイメイト協会では全盲者のみを歩行指導の対象にしている。さらに、介助者などの第三者の同行を必要としない「単独歩行」ができるようになったと判断した者のみを、卒業させている。この精神を具現化するように、協会施設での4週間の歩行指導を終えて晴れて卒業を認められた使用者は、そのままアイメイトと一緒に単独で自宅に帰るのが慣例になっている。

「アイメイトと一緒ならいつでもどこへでも行ける」。多くの使用者がアイメイトを持って何が変わったか、という質問にこう答える。第2号使用者の松井新二郎さんは、アイメイト協会創設者の塩屋賢一に「歩行の自由を得れば盲人の問題は50%解決する」と語っているが、つまり、アイメイトを得る目的はこの「歩行の自由」を得ることにほかならない。

しかし、盲導犬歩行の定義は、国内に11ある育成団体によって、それぞれ異なる。アイメイト協会以外では、逆に単独歩行を推奨していなかったり、そもそも全盲者を対象としていなかったり、行ける場所が事実上限られているなど、必ずしも「歩行の自由」が保証されるものだとは言い難いのが実情だ。

静岡県のアイメイト使用者、川口綾さんには、今年小学校と中学校に上がった2人のお子さんがいる。アイメイトを得るまでは、一人で外出できず、ほぼ引きこもり状態だった。それが、「歩行の自由」を得てからは、親としての責任を果たし、仕事を再開し、海外旅行にも行った。現在はNPO法人の理事長として盲導犬の使用を希望する人の相談に乗る立場で、育成団体によって異なる単独歩行の可否や歩行の質の違いも念頭に置いて、かつての自分と同じ立場の人たちにアドバイスを送っている。

怖くて一人で外出できない日々

川口さんは、大学卒業後、掛川市内の高校で家庭科の先生をしていた。あと2カ月で1年の契約期間が終わるという2000年1月末、自ら運転する車でトラックに追突してしまった。「その瞬間から記憶がありません。気づくと見えなくなっていました」。

まだ25歳。次の勤務先も決まっていて、新米の社会人として間もなく飛躍のステップを踏む直前の事故だった。それだけに、なおさら突然失明したショックは大きかったことだろう。それでも、まだ傷の治療中だったにもかかわらず、高校の離任式には出席した。

「事故のことは生徒たちには伏せられていたので、みんな私の傷の完治していない顔を見てびっくりしたと思います。でも、私の所まで直接来て励ましの声をかけてくれた子が大勢いて・・・。生徒たちに勇気をもらいました」

そして、4月から埼玉県の国立リハビリテーションセンターに3カ月間入り、白杖歩行など視覚障害者として生きるための訓練を受けた。

「国リハを出る時には、もう白杖歩行が出来るようになったと思っていました。でも、静岡に戻って実際に生活してみると、歩道がちゃんとしていなかったり、側溝にフタがない所も多い。怖くてとても一人で歩くことはできませんでした。そして、実際に側溝に落ちたことがきっかけでほとんど外出できなくなってしまいました」

そんな川口さんを支えるため、郷里の岐阜から妹が駆けつけ、一緒に暮らしてくれた。高校の同僚だった現在の夫も、変わらず支えてくれた。もう教員を続けることも趣味もできなくなってしまったが、大学時代の恩師が「研究の一環として、リハビリで回復していくあなたの様子を記録してくれないか?」と声をかけてくれた。その仕事を半年ほど続け、研究発表を3回した。その間の移動は、妹らに頼った。隣の研究室の人が家まで送ってくれたこともあった。

 

もともとは犬が苦手だった

「子供の頃から犬が苦手だったんです。触るなんてとんでもない!という感じでした」。一人で歩けない事実は厳然として目の前に立ちはだかっていたが、当初は盲導犬という選択肢は全く考えなかったという。それが変わったきっかけは、当時、福祉事業所で相談員をしていたあるアイメイト使用者からの1本の電話だった。川口さんの現在の職場であるNPO法人「静岡県補助犬支援センター」の設立メンバーのひとり(現事務局長)で、子育ての先輩でもある久保田道子さんが、川口さんが困っていることを聞きつけ、熱心にアイメイトの使用を勧めたのだ。

「『アイメイトはすごくいいよ、一人で歩けるし、世界が広がるよ』と熱く語ってくれました。まだ会ったこともない方なのに、初めての電話なのに、2時間くらい話をしてくれました」。犬に追いかけられたり噛まれたりしたトラウマがあるわけではなかったが、これまで全く縁のなかった動物と共に生活し、一緒に歩くということが想像できなかった。その後、何度か電話をもらったが、決心はつかなかった。

「最初の電話から数カ月後に、初めて実際に道子さんに会う機会がありました。そして、私の手を取ってアイメイトに触らせてくれました。『ここが頭で、ここが耳だよ』という感じで。思っていた犬のイメージとは違って、すごくおとなしくていい子だな、と思いました。それで犬が全く怖くなくなったというわけではないのですが、思い切って踏み出してみようかと思いました」

その年の6月に結婚。静岡市から夫が勤務する学校がある掛川市に戻った。生活環境が一新した機会に一念発起し、10月にアイメイト協会で歩行指導を受けることになった。

 

「犬の気持ちを理解して」と塩屋賢一に言われる

 

 

一頭目のアイメイトとの出会いは今でも鮮明に覚えている。協会3階の会議室で他の生徒とともに座って待っていると、歩行指導員がそれぞれのパートナーを伴ってやってきた。そして、以前から川口さんのパートナーだったかのように、何のためらいもなく、ちょこんと足元に座った。

 当時は、塩屋賢一先生がまだご存命でした。『犬の気持ちが理解できるようになって卒業してくださいね』と言われたのをよく覚えています。その時は、そうなんだ、私にできるかな?と思いました。

アイメイト協会の歩行指導は、実践主義だ。とにかくよく歩く。「毎日毎日一緒に歩くうちに、だんだん慣れていきました。私と違って、アイメイトの方は最初から全く固くなかったですね。すごくクールでおとなしい性格の子。部屋にいる時も、しきりに甘えに来るわけでもなく、一人でのんびりしているアイメイトでした」。

川口さんのように、もともとは犬が苦手だったという使用者は少なくない。使用者とアイメイトのマッチングは、お互いの性格や身体的特徴などから総合的に判断して協会が決める。犬が苦手だという川口さんには、そんな大人びた性格の犬が良いという判断があったのかもしれない。

卒業式の前日、塩屋賢一に呼び出され、「アイメイトと一緒に帰ってください」と、お墨付きをもらった。「すごく嬉しかったですね。でも、犬の気持ちが分かるようになったのは、家に帰って一緒に暮らしてしばらく経ってからですね」。今は2頭目の現在のパートナーとの性格の違いを実感し、犬の個性を汲むことができる。「2頭目の方が甘えん坊ですね。慌てん坊の所もあるし。色々な場所に行く中で、初めての所に行って帰ってきた時などは『家に帰って来れたのがうれしーい!』という感じでハウスに入っていく。分かりやすい性格です(笑)」。

 

子育て中に2頭目の歩行指導へ

 

 

アイメイトを得るまでは、溝に落ちたりした恐怖から、一人で出歩くことのない生活だった。「3カ月も泊まり込みで訓練したのに、結局白杖を使って歩くことのできない自分を責めたりして、とてもつらい状況でした。だから、どこかへ出かけたいという気持ちにもならなかったんです」。

歩行指導を終えて再び自分の足で生きていく勇気を得た川口さんは、アイメイトを勧めてくれた恩人の久保田さんと同じ職場で働くようになり、かつての自分のように悩んでいる人の相談を受ける立場になった。アイメイトや支えてくれた人への恩返しの気持ちもあり、真摯に支援活動を続けている。今は、NPO法人の理事長という重責を担う。

アイメイトを迎えた後、子宝にも恵まれた。1頭目のアイメイトは11歳半で引退。その時、長女は小学1年生、次女は1歳半だった。最も手のかかる時期だったが、間を空けることなく、2頭目の歩行指導を受けることにした。幼い子どもたちを置いて4 週間家を空けることに不安はあったが、それよりも、今後アイメイトなしで子育てをすることの方がずっと大変だと思ったからだ。

 アイメイトがいると、子どもに何かあった時、私一人でも病院などに連れていける。その安心感が大きいですね。実際にありましたよ。上の子も下の子も、急に熱が出て夜の9時10時に救急外来に連れて行ったことがあります。病院にあらかじめ電話で伝え、タクシーを呼んで行きました。夫が帰ってくれば一番良いのでしょうが、なかなかそうもいきませんものね。

アイメイト協会では、1頭目の人も2頭目以降の人も、等しく東京・練馬区のアイメイト協会に4週間泊まり込んで歩行指導を受けなければならない。子どもたちをずっと実家に預けるわけにもいかず、学校の先生をしているご主人も仕事を休むわけにはいかない。親類、友人、知人、市のファミリーサポーターと、頼める人を総動員して、ベビーシッターのようにシフトを組んで家を後にした。多くの人に迷惑をかけて申し訳ないという気持ちもあったが、先のことを考えれば、継続してアイメイトを得ることは子どもたちのためでもあったし、周りもそれに快く協力してくれた。

 

念願のフランス旅行も実現

 

もちろん、女性の生きがいは家庭と仕事だけではない。2004年には、アイメイトを勧めてくれた久保田さんとその姪御さん、川口さんの友人の女性ばかりの4人でフランスへ旅行に行った。家庭科の先生をしていた時は服飾が専門で、ずっとファッションの国・フランスにあこがれていた。「パリの手芸用品店などに行くのが見えていた時からの夢だったんですよ」。それが、まさか視力を失ってから4年後に叶うとは思ってもみなかった。「ルーブル美術館にも行きましたよ。レプリカの彫刻を触らせてもらって、本当に楽しかったです」。

お子さんたちが生まれたのは、旅行から帰ってしばらくしてからだ。子供たちを連れて、また海外に行きたいという思いはある。「アイメイトがいることで、色々と自信につながっているんですよ」。人の手を借りられない状況でも、親としての責任が果たせたこと、見えていた時でさえ遠い夢だったフランス旅行を実現したこと、一人で歩けずに引きこもっていた自分が、今はかつての自分のような人たちの相談を受けていること。すべてはアイメイトとの出会いから始まったことだ。

 ヘルパーさんなど人と一緒に歩くのも、安心感はあるんですけど、歩く感覚は全然違うんです。アイメイトは『自分の足で歩いている』という感じがします。

 

 

文・写真/内村コースケ(2017年3月取材)

2017年7月28日公開