家族、天職、そしてアイメイトに恵まれた人生

アイメイト使用者は、全国にいる。1957年に最初のペアが誕生して以来、1349組(2018年5月12日現在)が厳冬の北海道から常夏の沖縄まで、さまざまな土地を歩んできた。視覚障害者にとって、初めての場所を歩くのはハードルが高いが、アイメイト歩行であれば十分に可能だ。アイメイトとペアで歩くための基礎を習得していれば、いつどこへ行っても応用できる。使用者が道順を事前に覚えて犬に的確な指示を与えれば、よりスムーズに目的地に行くことができるだろう。海外留学や海外旅行を経験しているアイメイト使用者も少なくない。

あらゆる環境に柔軟に対応できるよう、アイメイトの訓練と歩行指導では、原則として「今日は雨だから休む」とか「少し暑くなってきたから中止」といったことはない。もちろん、真夏の酷暑や災害級の大雪の時などは別で、あくまで人と犬の健康と安全には慎重に配慮している。

つまり、4週間の歩行指導を終えたペアは、あらゆる環境に対応しうる基礎を身につけているということだ。雪道も然りで、雪国にも多くのアイメイト使用者がいる。特に日本海側の豪雪地帯にある石川県はアイメイト使用者が多く、長年20組前後が生活している。今回話を聞いたのは、その石川県の使用者の会「アイメイトクラブ石川」の理事長を務める井上凱暉(よしてる)さんだ。

地域住民の往診のために

井上さんは、金沢市の中心部で鍼灸治療院を開業している。72歳の今も現役。奥様の照子さんと二人三脚で、長年地域の人に治療・施術をしてきた。

「アイメイトを持った理由は、一人で往療(往診)に行くためです。それまでは妻の手引き(誘導)で行っていたのですが、妻にも治療院での助手としての仕事がありますし、できるだけ自分で行けるようにしたいという願いがありました」

井上さんの自宅兼治療院があるのは、兼六園にほど近い旧市街。「最近は高齢化でだいぶ減った」というが、お年寄りや障害者ら往診を必要とする人は多い時期で10数人いた。一人につき週2、3回通うから、ほぼ毎日往診に出かけていた計算になる。中途失明の井上さんには、それを白杖歩行でこなす自信はなかった。

 アイメイトと一緒に行くと、先方さんも『よく来たね』と、すごく喜んでくれました。

マッサージの癒やしに動物が与える癒やしが加わった。アイメイトの存在は患者さんにもおおいにプラス効果を与えたようだ。

 

冬の雪道でもアイメイト歩行

お孫さんたちと金沢市内を歩く

 

古都・金沢は、美しく整った町並みだ。だから、比較的道を覚えやすい面はあるかもしれない。一方で、特に井上さん宅周辺の古くからの市街地は、昔ながらの細い裏路地が多い。一歩裏に入れば歩道と車道の区別はなく、水が流れる用水や交通量の多い路地もある。

特に重たい雪が大量に積もる北陸の冬は、アイメイト使用者には挑戦しがいのある環境だ。「私はもともと金沢育ちだから、雪の中を歩くことには慣れている。でも、アイメイトは初めて金沢の雪を見た時にはびっくりしたでしょうね(笑)」。最初は、除雪した所としていない所の段差を「コーナー」(歩道と車道の境界の段差)だと思って、井上さんに知らせようとそこで動かなくなったこともあったという。

「それから、雪が2、30センチくらい積もったら、車の轍(わだち)ができるでしょ?そうしたら、犬も歩きやすい所を歩きたがるから、轍の所を歩くんですわ。ということは、横にいる私は(踏み固められていない)雪の中を歩かないといかん」。横にずれて自分が轍を歩いても、しばらくするといつの間にか元に戻っている。「轍の取り合いですわ(笑)」。

晴眼者でも、雪国に住んでいれば滑って転んだ経験は誰しもあるはずだ。「先日もね、見事にステーンと転びました。やっと雪がなくなったと思ったら、道がツルツルに凍っていてね。アイメイトは尻もちをついた私を、不思議そうに『あんた何してるんや』ってね。足が4本ある(犬は転ばない)からね(笑)」。

アイメイト協会の歩行指導は、生活に必要な基本的なことは全て網羅している。しかし、卒業後、個別の状況によっては助けが必要になることもある。その場合は、使用者が自ら声を上げて協会に相談する。アイメイト協会では「ご相談があればどこへでもフォローアップに行きます」としている。もちろん、ほとんどのペアは、それぞれに日々の研鑽を重ね、卒業後も歩行の質を上げる努力をしている。

 

今の仕事が天職

治療院の助手としても井上さんを支えてきた妻・照子さんと

 

井上さんは若い頃から登山を趣味にしていて、その健脚ぶりは折り紙つきだ。今も仕事を終えた夜に、自分の足首に重りをつけて20分ほどアイメイトと周囲を散歩するのを日課にしている。登山は失明後いったん中断していたが、10年ほど前に視覚障害者とサポートする人たちで作る登山愛好会に入った。今や会長になり、月に1回は仲間たちと登っている。

「(サポートの人の)リュックの後ろにザイルをつけてもらって、それに捕まって登ります。前を歩く人は段差などの道案内もしてくれます。20アップと言ったら20センチ上がる。30ダウンって言ったら30センチ降りるといった具合です。後ろにも人が付いて『右に枝があるよ』とか、『左が崖や』とか教えてもらいます。そうやって富士山や白山、立山にも行きました」

失明したのは30歳を過ぎた頃。それまでは、大手電機メーカーでエンジニアとして働いていた。「山登りもしていましたし、とにかく身体には自信があったのですが、24歳の時でしたか、時々目が霞みだした。視界がぼやけるので窓ガラスが曇っているのかな、と・・・。それからしばらくすると目の前がスッと晴れるというような症状でした」。最初は単なる疲れ目かと思ったが、病院に行くと60%が失明に至るという原因不明の難病「ベーチェット病」だと診断された。

それまでの仕事をやめて「北海道で酪農などをして大好きな自然の中に入りたい」という気持ちも芽生えた。実際に何カ所かの牧場に手紙を書いたりしているうちに、視力はどんどん落ちていった。そのため、28歳で盲学校に入って鍼灸マッサージの勉強をする決心をした。卒業する頃には全盲になっていた。

「目のほかには悪いところはないですよ。健康の秘訣は、やっぱりアイメイトと一緒に毎日歩くことですね」。障害を負ったことがきっかけで転身した鍼灸マッサージ師の道だが、患者さんに喜んでもらうことが何よりもの生きがいになった。

この道に進んで良かった。天職だと思っています。

アイメイトの啓発活動にも取り組む

家族にも恵まれた。2人の娘にそれぞれ孫が3人ずつ。長女は看護師に、次女は父の背中を見て鍼灸マッサージ師になった。

「おかげ様で子供と孫に恵まれておりますけれども、出る方もたくさんやね。孫たちも10歳を過ぎるとお年玉が一人1万円じゃきかんようになって・・・。『もう、じいちゃん降参や!』ってね(笑)」

アイメイトも今が3頭目。それぞれに性格が違うかけがえのないパートナーだ。「1頭目はおっとりとした犬でした。2頭目は元気がよくて、その分私も色々な道を歩こうとなるもんだから、よく道に迷った(笑)。今の犬は一番真面目で賢い。決まったコースをしっかりと歩いてくれるので、全く道に迷いません」。

昨年4月に、石川県初のアイメイト使用者で全国最高齢の佐藤憲さんから、「アイメイトクラブ石川」の理事長を引き継いだ。アイメイトの医療費の助成の嘆願や啓発活動など、本業に劣らず忙しい。最近でもまだ、身近に入店拒否や乗車拒否がある。

 車椅子の人にとって車椅子と自分の体が一体であるように、アイメイトは私たちの目の代わりをしてくれる。アイメイトの目を借りて初めて自由にあちこち行けるのです。犬の50%、わたしどもの50%、合わせて一人前の事が出来ています。そのことを一人でも多くの人に分かってほしいと願っています。

 

文・写真/内村コースケ(2018年2月取材)

2018年11月7日公開