美しいアイメイト歩行は視覚障害者の誇り

アイメイトと歩く志賀さんの後ろを妻・道子さんがついてゆく。道子さんの手には、志賀さんのリュックサックから伸びた引き紐がしっかりと握られている。志賀さんは全盲。道子さんは弱視で、昼間のよく知っている場所ならば自転車に乗れるが、夕方になって薄暗くなると視界が一気に悪くなる。そうなれば、志賀さんとアイメイトの”目”が頼りになる。

自分より見えない人の力に

志賀さんは先天性の弱視で、42歳で全盲になった。「アイメイト歩行では足でコーナー(交差点ごとの道路の段差)を確認しますよね。コーナーの高さ、角度、ギザギザになってるとか、見えている人が気にもしないことで場所を確認している。逆説的ですが、以前より今の方がよく見えているんです」。

なんでも自分でやらなければ気が済まない性格。幼い頃から自分よりも視力の悪い兄を気遣い、盲学校に入ってからも当たり前のこととして全盲の同級生の手伝いをした。そんな姿は、同級生だった道子さんの目にまぶしく映った。担任の勧めで普通高校に進み、卒業後、専門学校に通って指圧マッサージ師になった。

「普通高校に行って、あらためて何をするにも目を使うんだなと実感しました。だから、自分にはこれしかないと。やるからには人には負けたくない」。男気あふれる寡黙なタイプ。接客態度よりも技術を徹底的に磨いた。いつの間にか、勤め先でNo.1のマッサージ師になっていた。

独立・開業・アイメイト

3人の息子たちの大学進学などにお金がかかる時期に、一気に視力が落ちた。「落ち込んだというより、焦りですね」。最もネックになったのは通勤だった。白杖歩行を覚えたものの、やはり時間がかかる。職場の近くにアパートを借り、半ば単身赴任のような生活が始まった。自宅との長い往復は精神的にも肉体的にもこたえる。持ち前の自立心で身の回りのことは何でもできたが、帰宅は週1回から2週3週に1回と間隔が空いていった。

たまに自宅に帰った時に近所で新しい職場を探したが、まったく見つからない。指圧マッサージ師の有資格者は賃金が高いと、逆に敬遠された。アイメイトを持って通勤を楽にすることも考えた。でも、4週間の歩行指導を受けるための休みが取れない。

「それなら自分で店を持てばいい」。新築で買った家を売り、表通りに元喫茶店の中古住宅を手に入れた。時間が自由に使えるようになった。そして、開業から2年後の2008年、アイメイトが来た。

 

 

どこかで見られている自分を意識する

お客も増え、息子たちも社会人になると、趣味に費やすことのできる時間が増えた。見えていた頃から自転車、マラソン、カメラと多趣味。ピアノも始めた。バンドをやっていた若いころからのあこがれだった。独学で始めて、近所の教室に通う。初めての発表会ではショパンを弾いた。最近はフリークライミングのジムにもアイメイトと共に通い、仲間たちと汗を流している。

そして、何よりもの楽しみは、やはりアイメイトと歩くことだ。用事がなくてもよく散歩をする。「7km半とか、隣の市まで行くこともありますよ。苦にならないし、疲れもない。アイメイトが上手に障害物を避けてくれたりすると、ものすごく嬉しい。その積み重ねが楽しいんだろうね」。

志賀さんの歩く姿勢は、背筋がピンと伸びて美しい。「外を歩いてる時も、どこかで見られてるということをいつも意識しています。通りすがりの人はその場面しか見ないわけですからね。アイメイトを変に叱ったりして、アイメイトそのものに対して誤解を与えたくない」。

アイメイト使用者として、そして視覚障害者としての誇りが、志賀さんの生きる姿勢にも現れている。そして、孫ができた今、2頭目のアイメイトと新しい道を歩み続けている。

雨中の卒業試験を経て、2頭目のアイメイトと歩み始めた(2016年4月撮影)

 

アイメイト55周年記念誌『視界を拓くパイオニア』(2012年発行)より ※一部加筆

文・写真/内村コースケ

2018年10月24日公開