アイメイトと共に「今」を歩く

視覚障害者の世界でも、IT革命は確実に進んでいる。例えば、以前は点字が読書やコミュニケーションのおもな手段だったが、若い世代ではスマートフォンやパソコンに取って代わりつつある。読み上げ機能などのアクセシビリティの向上により、今後ますますその傾向は強まるだろう。

科学の目覚ましい進歩を目の当たりにすると、「ロボットに代わりをさせよう」という人が出てくる。しかし、ことアイメイトの場合は、その主張はアイメイト歩行の本質を見誤ってはいまいか。「盲導犬(=盲人を導く犬)」という呼称の影響もあり、犬が視覚障害者を引っ張って歩くイメージを持たれがちだが、実際のアイメイト歩行は、人と犬との双方向のコミュニケーションによる共同作業だ。

2つの心を融合させて、「歩く」という1つのことを実現する。それがアイメイト歩行の本質だ。ロボットは今のところそれに必要な「心」を持たない。根幹にあるのは、使用者とアイメイトの信頼関係だ。それは、生活を共にすることによって育まれる「愛情」に支えられている。心を持つロボットと愛を育てられる日がいつかは来るかも知れないが、今を生きる人に、それまで待てと言うのだろうか。

一方で、視覚障害と共に生きる若いアイメイト使用者たちが今、ITによって可能性を大きく広げようとしているのもまた事実だ。そして、その道は、第1号ペアの河相洌(かわい・きよし)さんと『チャンピイ』が通ってきたアナログ時代と同じ道の上にある。

第1号使用者・河相洌さんの学校で

赤嶺尚宣(あかみね・たかのぶ)さんが初めて接したアイメイトは、第1号使用者・河相洌さんの3頭目のパートナー『セリッサ』だった。幼稚園から中学まで、静岡県浜松市の盲学校に通った。

「自分が4、5歳の頃です。確か、職員室でダウン(伏せ)しているセリッサを触らせてもらったのが最初です」。河相さんは、長年浜松の盲学校の教師をしていた。赤嶺さんは直接河相さんの授業を受けたことはないものの、身近にパイオニアと接することができたのは幸運だった。「当時はアイメイトという呼び方は知りませんでしたが、『盲導犬っておとなしいな』『僕と同じくらいの大きさだな』と思ったのを覚えています」。

自身がアイメイトを持ったのは2016年9月のこと。子供の頃から、両親ら周囲には「一人でどこへでも行けるから、いつかは盲導犬を持ちなさい」と言われていた。自分でも「犬は好きだし、いいかもなあ」とは思っていたが、同時に「犬に仕事をさせる」というイメージもあり、漠然と「なんだかかわいそうだなあ」とも感じていた。

「静岡は河相先生以外にもアイメイト使用者が多く、盲学校にも2頭ほどいました。だから仕事中の様子は見ていましたが、アイメイトとの生活のことは何も知りませんでした。『どこにも行かない日はどうしているんだろう?部屋の中の自分のスペースでじっとしているのだろうか?』といったことが、長年疑問のまま残っていました」

社会人になってから、知り合いのアイメイト使用者の家に行き、そこで初めてリアルなアイメイトとの日常生活の様子を知った。「仕事をしていない時は家庭犬と同じようにかわいがられて過ごしているし、『褒めてなんぼ、褒められてなんぼ』という接し方をしている。『かわいそうな存在じゃない。この子たちも楽しいんだな』ということが分かると、自分でもアイメイトを持ちたくなりました」。

 

 

青年期の苦悩

現在37歳の赤嶺さんは、いわゆる就職氷河期世代だ。20代からアイメイトを持った30代半ばにかけて、同世代の多くの若者と同様、世の中の停滞感と重ね合わせるように、先行きへの不安や現状に行き詰まりを感じていた。

上京して全寮制の盲学校を出た後、音大に進んだ。晴眼者が中心の環境に飛び込むのはその時が初めてだった。「相手が悪いのではない。そう受け止めることしかできない自分が若かった」と今は思えるが、「とことん気が利かない」周囲の対応にショックを受けた。「学校内では最低限のサポートはありました。でも、外に出るとどうしても孤立してしまう。たとえば飲み会をやると誰も(食事や飲み物を)取り分けてもくれないので、食べられない、飲めない。でも、会費だけはばっちり取られるという・・・。そういう世界でした」。

大学時代は友だちがほとんどできなかった。ピアノとサックスを学んだが、それを将来に生かす道が見えてこなかった。学校で学ぶクラシックよりもR&Bなどの洋楽が好きで、路上ライブなども重ねたが、あくまで趣味の領域にとどまった。音大を出たからといって、演奏家になったり、音楽業界に就職する道が開けているとは到底言い難いのが現実だった。

就職活動はうまくいかず、結局、両親が暮らす沖縄へ行き、盲学校で鍼灸マッサージ師の資格を取った。両親の出身地とはいえ、自分にとっては馴染みのない土地。整骨院でアルバイトを始めたが、早朝から夜中近くまで仕事に明け暮れる鬱々とした日々が続いた。「やっぱり自分の人生を歩きたい」。結局、東京に戻った。

 

「人間力」を問われた歩行指導

アイメイトの歩行指導を受けたのは、企業内の鍼灸マッサージ師(ヘルスキーパー)として再スタートを切った東京での生活が落ち着いてきた頃だ。「この子たち(犬)は(すでに訓練を受けていて)完成されているじゃないですか。だから、社会人としても駆け出しの自分の、人間力を試される4週間だと思いました」。アイメイトの歩行指導は、マッチングされたパートナーと、4週間協会の施設で寝泊まりする合宿形式で行われる。やがて、技術的なことよりも心の持ちようが大切だと悟った。「いかに安定したメンタルでパートナーに指示を出して、いっぱい褒めてあげられるか。その心の余裕を保てるかが問われる日々でした」。

アイメイトの歩行指導は、見合い結婚の後の4週間のハネムーンのようなものかもしれない。「触れ合いを重ねながら、『この子に任せて歩けばいい』と思えるまで信頼関係を高める。でも、やはり、最初の2週間は私の指示ではまったく動かない時もありました。歩行指導員から私への主人交代。それを実現するためには人間力が必要でした」。

犬は、主人の人間性を真っ直ぐに受け止める。だからこそ、愛おしさも増すし、いい加減な態度は取れなかった。

生き物の命を預かるとはどういうことなのか。確かに“歩行”指導ですけど、それを教えてもらう訓練だったのではないかと思います。

雇用される側と企業の橋渡し役になりたい

再上京した後も、職場の人間関係に悩み、転職を余儀なくされたこともあった。しかし、アイメイトを得たことで心の安定も得られ、やがて人生の道にかかっていた霧が晴れていった。今の職場には、アイメイトと電車通勤している。

「アイメイトと歩くようになって初めて分かったのですが、白杖で歩いていた時は相当に緊張していました。歩くのがストレスだったんです」。人や自転車にぶつかる。挙句の果てには杖を折られる。理不尽に怒鳴られたのも一度や二度ではなかった。

アイメイト歩行で得られた自由は、思った以上のものだった。「まず、人にぶつからずに済みますよね。言いがかりもつけられません(笑)」。今の通勤路は、世界でも1、2の乗降客数がある池袋駅の地下街を通り抜けるコースだ。

 

 

アイメイトがいれば、気ままに寄り道もできる。仕事帰りなどに、カフェに立ち寄ることも多い。そこでは決まって、ノートパソコンを開く。父の影響で子供の頃からパソコンには興味があった。カフェではSNSやメールで友人とやり取りをしたり、webサイトを閲覧したりしてくつろぐ。

「家でもできることをわざわざカフェでやるんですよね。周りの音を聞きながらぼーっとしたり。皆さんも時間つぶしのためにカフェで本を読んだりしますよね。それと同じ感じで、ネットに繋いで調べたり読んだりしています」

 

 

職場でもパソコンのスキルは必須だ。スケジュール管理など、業務の大半はパソコンなしには進まない。日進月歩のIT技術に追いつき、追い越すくらいの心構えでないと、職場で本当に必要とされる人材として活躍するのは難しい時代だ。それをよく分かっている赤嶺さんには、夢がある。

「視覚障害者と雇用する企業とを結ぶITのサポート役をしたい。視覚障害者を雇ったのはいいけれど、見えない人が業務システムにどうやってアクセスすればいいか、当事者も企業側も分かっていない場合が多いんです。その間に入って、コーチングする人材が必要です。自分がそれをできればいいなと思っています」

障害者を雇用しても、お互いのすれ違いによって“飼い殺し”状態になってしまったり、トラブルに発展するケースが時折報じられている。変革期にある今こそ、赤嶺さんが言うような橋渡し役が必要な時なのかもしれない。

 

 

文・写真/内村コースケ(2018年5月取材)

撮影協力:スターバックス コーヒー 池袋明治通り店、珈琲茶館「珈風絵」

 

2018年11月28日公開