お互いが「責任を持てる大人」として支え合う

アイメイトとの歩行や日々の生活は、本来の意味での「自己責任」の世界だ。そのため、子供の頃からアイメイトの使用を希望していたとしても、責任を持てる大人と見なされる18歳までは歩行指導を受けることはできない。8歳の時にアイメイトと出会い、使用者になることに憧れていた杢尾文(もくお・あや)さんも、10年待ち続けた。

昨今は、自己責任論が短絡的に唱えられることが多くなったが、周りに一切頼ることなく、全てを自分一人で抱え込むことが「自己責任」の本来の意味ではない。他人に対しても、「自己責任で勝手にやれば?」と突き放すのは、自己責任論を履き違えた態度だ。

生まれつき全盲だった文さんは、たとえ身近に頼れる人がいなくなっても生きていけるように、幼い頃から「なんでも自分で出来るようになりなさい」という教えを受け、実践してきた。とはいえ、当然のことながら、努力や学びの過程でさまざまな人の力に支えられてきたし、今も日々の局面局面で、家族や社会の手を借りることがある。

使用者とアイメイトの関係は、まさに、責任を持てる者同士が支え合う、本来の自己責任によって成り立っている。アイメイトの使用を希望する人は18歳になれば、自分の判断で歩行指導を受けることができる。生徒に対し、アイメイト協会は、正しく安全なアイメイト歩行を実現できるよう、出来る限りの指導を行う。そこでは、自己責任の精神を培う意味も込めて、「犬の日常の世話は使用者自身が行う」ことも徹底される。一方で、「道に迷ったら通行人に聞く」といった人に頼る訓練も、しっかり行っていく。

そして、アイメイトは、危険を察知したり障害物を避けるという形で、使用者と自らの安全に責任を持つ。使用者とアイメイトの関係は、お互いが依存し合っているような、甘ったるいものではないのだ。責任を持てる者同士の真の信頼関係は、それよりもずっと温かい。

避暑地での出会い

 

 

文さんは、在宅の仕事をしながら4人の子供を育てている。21歳の長男を筆頭に、大学生の長女の下に弟が2人。末っ子が高校生になった今、それぞれに自立心が育ち、文さんは、週末を夫の勝利(しょうり)さんと2人で過ごすことが多くなった。最近は、ワゴン車を簡易トイレ付きのキャンプ仕様にし、オートキャンプを楽しむことが多い。

勝利さんと出会ったのは、まだ1頭目のアイメイトと歩いていた大学生の時だ。文さんの家族が所有していた関東の避暑地の別荘に、勝利さんが九州から友人たちと泊まりに来たのがきっかけだった。

勝利さんが言う。「その時に傍らにいた(1頭目の)クリスタルというアイメイトがとてもいい子でね。感動したんですよ。盲導犬を見たのは初めてだったのですが、犬ってそこらへんをほっつき歩いているようなイメージがあったんだけど、全然そうではなくて。家の中でも落ち着いた様子でずっとステイしている。うん、これはすごいなあと」。

勝利さんは「人よりも犬の方に目が行った」と照れるが、初対面の文さんと電話番号を交換。ほどなくして、文さんが勝利さんの出身地の長崎へ旅行に行った際に観光案内をするなどして、交際を深めていった。結婚後、東京育ちの文さんが、勝利さんの生活基盤がある佐賀県に移住した。

 

もう一つの「初恋」

 


一方、文さんの方の“初恋”は、勝利さんとの出会いよりずっと前のことだ。小学校2年生の時、初めてアイメイトに出会った。東京・渋谷の西武デパートの啓発イベントで、初めてのアイメイト歩行を体験したのだ。

「あまりにもスムーズに歩けたのでびっくりしました。あの一体感を知ってしまったらもう戻れない。初めて歩いた時に、呼吸が分かっちゃったんです。“ああ、この人と結婚するんだろうな”というインスピレーションと似たような感覚。『私は死ぬまでアイメイトと歩くんだ』って思いました」

実際にアイメイトを持てる18歳まではあと10年あった。待ち遠しい、もどかしい日々を過ごしながら、年1回の西武デパートのイベントに通った。6年生の時には、協会を見学する機会もあった。「17歳でオーストラリアに留学したのですが、留学先で18歳の誕生日を迎えました。すぐに、『18歳になったから(歩行指導を)申し込んで』と、家に国際電話をかけました。そうしたら、協会の方で私が18歳になる日を分かっていて、もうリストに入っていたんです(笑)」。

10年越しの初恋がようやく叶う喜びはしかし、悲しみと重なってしまう。その電話をした日から間もなく、父が危篤だという知らせがあった。そのため、帰国時期を繰り上げて8カ月間で留学を終えた。

 

自立に向けた日々と塩屋賢一の教え

 

文さんは留学時代をこう振り返る。「オーストラリアの人たちは、基本的な考え方として、障害がある若い外国人である私を、自立した一人の人間として見てくれていたと思います。たとえば、洋服を買いにいった時には、『どんな生地が好き?』『どんなシーンで着るの?』『好きな色は?』と店員さんが私に直接聞き、いろいろと試着室に持ってきてくれる。そのうえで、最終的に自分で決めさせてくれました。日本では保護者が決めたり、同行している友達に頼ったりで、まだまだだなあと思いました」。

帰国後、危篤の父の容態を心配しながら、初めての歩行指導に入った。自分はもう子供ではない。父に、アイメイトと一緒に歩く姿を見せたい。アイメイト使用者としての第一歩は、奇しくも、名実ともに大人として自立する第一歩と重なった。奇跡的に、父は4週間の歩行指導期間中、容態を保ってくれた。

アイメイト協会の創設者で、日本で初めて盲導犬を育てた前理事長の塩屋賢一とは、初めて協会を訪問した時から交流があった。歩行指導期間中に再会すると、あらためて教えられることが多かったという。

オーストラリアの人たちと同じように、賢一は視覚に障害を持つ生徒を特別扱いしなかった。「その頃には、賢一さんは、もう直接指導はしなくなっていたのですが、クラス(※協会に一緒に泊まり込んで歩行指導を受けるグループのこと)で週1回、お茶会というものがあったんです。塩屋先生が来て雑談するのですが、先生は、わざと食べにくいミルフィーユとかを持ってくる(笑)。視覚障害者の自立に関してのパイオニアの方ですから、お食事のマナーにもすごく厳しかったんですよ」。

塩屋先生の言葉で特に印象に残っているのは、『犬の顔を見れば、その人がどういう使い方をしているか分かるんだよ』とおっしゃったことですね。それから、『いくらきれいな言葉で命令しても、犬に伝わらなければ意味がない。自分がやって欲しいことをしっかり犬に伝えなさい』とよく言われました。相手が誰でも人間として対等に扱う。その分、甘えを許さない方でした。

 

アイメイトは子どもたちの心の支えにも

 

 

4人の子供たちは今、大学生と高校生。これから順番に社会人として巣立っていく。「やっぱり経済的にも自立してもらいたいと思います。そのために、大学くらいは出てほしい(笑)。勉強して選択肢を増やし、好きなことを見つけて自立してくれれば良いですね」。

アイメイトの存在は、子どもたちの成長と共にあった。「1頭目は長男が生まれてすぐに引退しましたが、学生時代から新婚時代を支えてくれた犬ですね。2頭目は、その後の3人の出産ラッシュを支えてくれました。3頭目と今のアイメイトは、子どもたちの癒やしになっているのではないかと思います。犬がいるとね、思春期の子供たちがすごく穏やかになるんですよ。何か悩みがある時に、アイメイトを抱きしめてから学校に行くとか。言葉にできないような思いを、無言の内に交わしているようです」。

もちろん、自身がアイメイトに助けられたことも数え切れない。横断歩道で信号無視の車を察知して止まってくれたこともあったし、停車中のトラックから突き出ていた危険な積荷を避けてくれたこともあった。精神面でも、支えになっている。

ロボットにすればいいという人もいるけれど、生命の息吹がないじゃない。どんなに歩行が完璧なロボットだったとしても、アイメイトのように楽しんで歩くことはできないでしょうね。

 

「ありがとう」の気持ちを込めて

 

一方で、これまでに3回経験した「引退」については、「私の場合は、わりとあっさりしているんですよね」と言う。「出会った時から、いつか引退することは分かっているわけじゃないですか。『ありがとう』の気持ちはあっても、そこでめそめそするのは犬に失礼かなと」。

これまでの経験では、アイメイトが10歳くらいになると、体力的にきつくなっていく様子が分かったという。「歳をとっても犬の方からは『やめたい』とは思わないでしょう。かえって、絶対に仕事をしようとするんですよ。だから、私の方から引退させてあげないといけない」。

『使い捨て』と言う人もいますけれど、価値観が違うのでしょう。私は、リタイアで悩んだり泣いたりしたことはありません。次の犬を持つと、前の犬たちがぞろぞろと後ろからついて来る気がするんですよ。

 

 

文・写真/内村コースケ(2018年5月取材)

2019年2月14日公開