第44回アイメイト・デー 会場写真

2022年10月23日(日)、全国町村会館にて、「第44回アイメイト・デー ~国産盲導犬第1号誕生から65周年・原点に立ち返る~」を開催いたしました。コロナ渦のため3年ぶりとなった今回は、全国各地からアイメイト使用者とアイメイトのペア32組が集まったほか、アイメイト後援会や奉仕家庭の皆さまなど、計230名が一堂に会しました。「アイメイト・デー」は、アイメイトに関わるさまざまな人々が集い、相互理解や社会啓発を図るイベントで、1972年から原則として毎年開催してきました。


代表理事 ご挨拶

公益財団法人アイメイト協会 代表理事 塩屋隆男

来賓の方々、アイメイト使用者の皆さま、アイメイト協会に関わりをお持ちくださっている皆さま、また本日ご参加くださっている皆さま、こんにちは。第44回アイメイト・デーにお越しくださり、誠にありがとうございます。皆さまとアイメイト・デーでお目に掛かるのは3年ぶりです。今年は国産盲導犬第1号ペアとなる河相洌(かわい・きよし)さんとチャンピイが活動し始めてから65年目の区切りとなります。

国産盲導犬第1号ペアが誕生するまで

6月には浜松の河相さんをお訪ねしました。河相さんは当時の出来事を明確に理路整然とお伝えくださり、そのお姿とお話の中に、アイメイトペアにとっての基本となる大切な姿勢が示されていると感じました。河相さんは、チャンピイを米国大使館付武官のノーベル大佐から譲り受けたこと、チャンピイを訓練し、更に自分に歩行指導をしてくれた塩屋賢一との出会い、職場である盲学校に快くチャンピイを受け入れてくれた学校長の存在など幾つもの偶然が良い方向に作用したとお話しくださいました。この偶然の重なり合いは奇跡だともおっしゃっていました。しかし、それだけでは国産盲導犬第1号ペアの誕生は実現しなかったでしょう。忘れてはならないのは、河相さんの淡々とした静かさの中に包まれている、朗らかさと強い意志が、チャンピイとの素晴らしいペアを築き上げていったということです。

65年経っても変わらないこと

アイメイトと使用者は一心同体で、特に主人である人の明確な意志こそ、ペアの形成に欠かせません。65年経ってもそれは不変です。以前よりお伝えしていますが、身体障害者補助犬法の本来の目的は、この法律の第一章第一条に記されている通り、「身体障害者の自立及び社会参加の促進に寄与すること」です。犬の存在ばかりが強調され、主役であるべき障害者への視点が軽んじられることは厳に慎まなければなりません。使用者の皆さんがアイメイトのしつけを維持して、主人としての責務を果たしながら、アイメイトと共にスマートに活動される。それによって視覚障害やアイメイトに対する誤解や偏見がなくなっていく。これこそが一番の社会啓発と言えます。主役は人間です。そして、アイメイトは対等なパートナーです。

視覚障害者への理解促進と共生社会を目指して

アイメイトを使用する上での社会環境が現在のように整ったのは、ひとえにアイメイト使用者の“障害に負けず、積極的に社会参加される不断の努力”とアイメイト協会をご支援くださる方々の惜しみないご協力の賜であります。本日も多くの皆さんとの会話や他者の話を聞くことを通じ、お互いが磨きあい、相手を認め合い、人間に主体をおいた『真の障害者理解』と『共生』につながってゆく社会になることを願っています。最後に、国産盲導犬第1号ペアから数えて通算卒業実績がこの10月8日に1,427組となったことをお伝えして、結びとさせていただきます。どうもありがとうございました。

アイメイト65周年スピーチ

日本初の飼育奉仕者 吉田良行さん、道子さんご夫妻

アイメイト協会創設者 塩屋賢一との出会い

アイメイト協会の塩屋賢一氏との出会いから今年の3月までさまざまなお手伝いをしてまいりました。私は1936年の生まれです。そして、塩屋賢一氏と出会ったのは1966年の1月です。その出会いは瞬間的な塩屋賢一氏と私との対面で、何か直感的に信頼ができたと思って、この2022年3月までお手伝いを続けてきました。塩屋賢一氏との約束では、「吉田さん。お手伝いをしてもらうことは大変嬉しい。たった一つ条件がある。一切訓練と使用者にわたった犬のことに関しては口を出してもらいたくない」と。こういう本音でものを言う人、私は大好きなんです。私もそのような性格なものですから、「分かりました。塩屋賢一理事長が頼みたいということがある。とにかくお引き受けいたします」ということで、ここまで飼育奉仕をはじめさまざまなお手伝いをしてきました。

飼育奉仕のはじまり

私、本業は日本キリスト教団の教会の牧師であります。渋谷で牧師の助手をしておりまして、いずれ自立したい。教会の言葉で言うと開拓伝道する。どこかといったら人が見捨てるような僻地に行きたい。農村が良くならなければ、日本の国は良くならない。私はそういう思いで伝道師をやりました。それで1965年に茨城県の牛久にまいりました。そこで林の中に一軒家を建てて、66年の1月か2月だったと思いますが、塩屋賢一氏がまだ塩屋愛犬学校という看板を出している自宅にお訪ねいたしまして。それで、お訪ねした日に4頭ほど子犬を見せてくださいまして「こういう犬を訓練適齢期まで育ててやってほしい」と。一気に4頭と聞いてどうしようかと思ったんですけれども、お引き受けしました。飼育する手が足りないので盲導犬が行きわたっていない、そういうことでしたので次々と子犬を送ってもらって。さっき申し上げましたように、「訓練以外のことは何でも引き受ける」と言ってしまったので、自分で飼育奉仕もし、牛久教会の会員や子どもの幼稚園の父兄に協力をしてもらいながら、やってまいりました。「なんとかしてくれないか」「じゃあなんとかしましょう」と。ですから、私は飼育奉仕第1号ということでご紹介もありましたけれども、そんな思いは何にもなかったんです。ただただ塩屋賢一氏の心意気に感動いたしましてお手伝いしてまいりました。

未来の飼育奉仕者に向けて

使用者の皆さんが今使っていらっしゃる犬たちは繁殖奉仕の方、飼育奉仕の方、指導員の方、後援会の方、様々な人たちが関わっていますが、アイメイトを使う皆さんの活躍している姿を見てこれら関係者の方たちは大変喜んでいます。決して目立とうとはしていません。私の仕事柄、聖書の言葉を引用しますと、私の心と牛久近隣で手伝ってくださった方たちは、「右の手のすることを左の手に知らせてはならない。それが本当に奉仕であり隣人愛の問題だ」そういうことを理解してくださってここまでやってまいりました。貧しかったけれども楽しい思いでアイメイト育成に関わってまいりました。私は今年86歳になり耳も聞こえなくなってまいりましたので、アイメイト協会をお手伝いするのも、区切りにしたいと今年の3月をもって終了しております。これから飼育奉仕をなさる方たち、犬を可愛がって育ててください。そしてアイメイト協会に送ったら、あとは指導員にお任せください。無事、訓練が終了して働いているということが、卒業後の写真だけで終わってしまうかもしれませんけれども、どうぞ喜んでください。使用者の方たちもそのことを心の中で喜んでください。そして、「右の手のすることを左の手に知らせない」ということが本当に心のこもった飼育奉仕である、ということが私たち初期にアイメイト育成に関わってきた者の思いです。パソコンが発達した中でそれを厳守するということは難しい話ですが、喜びを分かち合うのはどうぞアイメイト協会を通したり、あまり犬に思い出を持たせて惑わせないようなことを志していただきたい。使用者にわたった犬に対して、私どもも一度、アイメイト・デーで会ってしまったんです。その犬が、私どもの雰囲気を感じ取ってしまったんですね。残念なことに、その後その犬はバランスを崩して、せっかく卒業したのに使用不可能になった。これは奉仕者としても指導員にしてもアイメイト協会にしても、中途半端で別れなければならなかった使用者にとっても大変残念なことです。飼育奉仕者のこと、使用者のこと、リタイアしても犬は忘れておりません。そのことだけは、さまざまな犬を育てるお手伝いをして経験してまいりました。働いている犬は、過去にお世話になった方たちのことを忘れていないということを喜んで心に留めながら活動していただきたいと思います。語り尽くせないですけれども、本当にありがとうございました。

吉田さんご夫妻がボランティアを始めた当時の写真(一部抜粋)

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アイメイト後援会 鈴木節子さん

後援会ではアイメイト協会とアイメイト使用者の方のお手伝いを目的に活動しています。また、募金活動やチャリティグッズ販売、募金箱の設置などを行っています。今日は後援会員が30名ほどお手伝いで参加しています。私が初めて協会へ伺ったのは35年前で東京盲導犬協会の頃でした。場所は練馬区関町南にあって、武蔵野の面影のある街並みでした。犬はシェパードとラブラドールの両方がいました。その後、後援会を知って入会しました。人数は30名ほどで、お手伝いの用事がある時に出向くという程度でした。当時のメンバーで残っているのは私を含めて2名ですが、現在は250名となり、活動も多岐にわたっています。

協会旧施設から、移転先を模索する中での苦労

そして何年か経った頃、協会は新施設の建設を東村山市に計画していました。ところが理不尽な地域周辺住民の反対にあい、市の許可が下りませんでした。そこで市役所へ使用者と職員がバスを貸し切って行くというので、後援会長の夫と私も同行しました。役所で重苦しい雰囲気の中、使用者も力を落としていましたが、私一人が大声を張り上げて抗議したことを覚えています。しかし結局断念して、今の練馬区関町北に決まったわけですが、かえって今の場所で良かったと思います。やはり練馬区はアイメイト発祥の地ですから、ずっと練馬区であってほしいです。いよいよ建設が決まって、使用者の同窓会が資金集めの為の募金活動を始めることになって、後援会がお手伝いをして募金箱の設置やバザー、グッズ販売などをしていきました。使用者の方たちと活動を共にして感じたのは、使用者とアイメイトのパワーです。私たち後援会はお手伝いというよりは逆にパワーをもらっているのです。それがこれまで長く続いた原動力なのだと思います。新施設に移転してから、前理事長の塩屋賢一さんはご自宅から通われていて、若い指導員へ「犬にグッド、グッドと心から褒めるんだよ。口先だけではダメなんだから」と声をかけられていました。後援会は協会をサポートすることが目的ですが、指導員が熱心に仕事に励む姿に接するにつけ、こちらもパワーをもらっているのです。「頑張ってください」と切に望みます。

「盲導犬の父 塩屋賢一とアイメイトの歩み展」開催にも携わる

前理事長の塩屋賢一さんが2010年9月に亡くなったときに、ご遺志により一般の葬儀は行われませんでした。そこで後援会の有志がお別れの会を開こうと、我が家に集まって相談しました。しかし、私はご遺志に背くと思い躊躇していました。また夫を含んだ発起人たちも具体的な案がまとまらずにいました。そんな中、「アイメイトの足跡として展示会を」と私が思いついたところ、たちまち賛同を得て、会場候補地、資金面、展示内容などが次々と提案されて、開催日を翌年の5月と決めました。それからは企業へ協賛を募ることから、展示物の作成、催し物の企画、広報などと進めてきました。そして3月11日に東日本大震災があったときに、5月開催は難しいとの意見も出ましたが、結局、江戸川区施設の大きなホールで、タイトルは「盲導犬の父 塩屋賢一とアイメイトの歩み展」を開催しました。賢一さんをしのびつつ、アイメイト協会の歴史を振り返り、多くの人たちへアイメイトの啓発ができたと自負しています。

飼育のリレーをつなぐボランティアとしての心構え・やりがい

さて、犬についてですが、個人的にはたくさんの犬に関わってきました。初めて協会から預かったのは高齢のリタイア犬でしたが、それから、繁殖、飼育、リタイア犬、不適格犬などすべてのステージの犬を預かりました。今我が家には繁殖犬と不適格犬の2頭がいますが、多いときは5頭いました。夫と二人で2頭と3頭ずつ持って散歩に行きますが、夫がゴルフや釣りでいないときは私が一人で5頭を連れて鵜飼い状態で行きます。なるべく広い道を選ぶのですが、それでもすれ違う人は避けて行くので肩身が狭かったです。これまでに多くの犬たちとの出会いと別れがありました。縁あって我が家に来た子はどの子もかわいく、またお別れは何度経験しても辛いものです。繁殖で生まれた子は兄弟でもどの子も違ってそれぞれに個性があり、生後2カ月で巣立つときは、おとなしくて手のかからない子は愛しく、やんちゃな子はさらに愛しく、どの子も「良い子に育ってね」と次の飼育奉仕の方へ託します。あるいは他で生まれた子を私が飼育して、1年後に協会へ返す時は「たくさんかわいがってもらってね」と祈ります。繁殖で生まれた子も、1年飼育して返した子もその後は会うことはありません。思い出を胸に抱いて、きっとどこかでかわいがられて頑張っているのだと、ただ信じています。それが犬にとっても、またその時々の飼育者にとっても必要なことと思います。人も親離れ、子離れができないと、とかく弊害があります。それと似た部分があるのではないでしょうか?リレーのタスキを受けたときは全力で走り、次の走者へ渡したときは信じるのみ、そんな気持ちでアイメイトの犬たちと関わっていきたいと思います。 アイメイト協会は65年間築いた信念をいつまでも守り続けて、今後も益々発展されますよう、社会のため、私たちのためにもお願いします。

夫婦でこれからもアイメイト事業を支えていく

後援会では定年がなく、生涯現役で働けるところです。会員の年齢もまちまちで親子の年齢差であったり、最近は孫のような世代とも一緒に活動ができるという、そこがボランティアの良いところかと思います。夫が2年前に脳梗塞から癌と骨折やらで6回も手術をして、会長職を続けるのは無理と思いましたがどういう訳か快復して、今日も参加しております。まだ役目は足りていないということなのでしょうか。いつか夫婦でリタイアの日まで、皆様に支えられて頑張って参りたいと思います。今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

アイメイト使用者 佐藤由紀子さん

初めての歩行指導

1988年2月、私は1頭目との歩行指導に臨みました。「あなたのアイメイト、ラブラドール・レトリバーの名前はウェンディ、イエローのメスです」アイメイトとの結婚式での賢一先生の声を、今も鮮やかに覚えています。すでに訓練の一線からは退いておられた先生ですが、時々私たちに同行されていました。当時の協会は今よりずっと吉祥寺に近く、確か歩行指導3週目に、吉祥寺駅前まで徒歩で往復のコースが設定されていて、私とクラスメイトKさん、指導員Sさん、先生の4人で歩いた帰り道、もうすぐ協会というところまで来た時、「みんなでお茶でも飲んでいくか」と先生。入ったのはデニーズ、アイメイト同伴での飲食店入店のハードルが今よりずっと高かった時代、「卒業したらアイメイトと一緒に、どんどんいろんなところに行きなさいね」と励ましていただいたこと、テーブルの下に伏せたアイメイトのリードのナスカンを踏む足にも力が入って、緊張しながら先生のおごりで飲んだジンジャーエールは思い出の味です。

塩屋賢一との思い出

卒業して1~2年たった頃、その日は何かの取材対応のお手伝いで協会に伺う約束でした。朝ウェンディにブラシをかけていると、指が彼女の胸の真ん中にある、昨日まではなかった腫れ物のようなものに触れました。悪い想像が瞬間で黒雲のようにたちこめて、先生に電話しました。「少し遅れてもいいから、すぐに獣医さんに診てもらって、それから来なさい」ここからの話はかなりお恥ずかしいのですが、その腫れものを診た獣医さんは事もなげに、「ああ、これは乳首ですね。左右対称でない位置にあることも珍しくないんですよ」とおっしゃったのです。協会に着いた私の顔を見た賢一先生は、真っ先に「ウェンディどうだった?」とお尋ねになりました。病院での顛末をお話しし終えたところに、たまたま通りかかった若い指導員を呼び止めた先生、いきなり「君たちは歩行指導中、生徒に何を教えているんだ」とカミナリを落としたのです。「卒業した生徒の中には遠方に住んでいて、次の犬との訓練まで協会に来ない人もいるのだから、犬の体のこともちゃんと教えなきゃだめじゃないか!」かしこまって「はい、はい」と応える指導員の隣で、穴があったら入りたかったです。先生との思い出は、ほぼ1頭目と過ごした10年間と重なります。ウェンディが7歳の時、我が家は引っ越しをしました。新居にも慣れてきたある夜、夜中に彼女が突然「キーッ!」と悲鳴のような声をあげ、それが毎晩続き、しかもどんどんひどくなっていくのです。でも、昼間は普通に仕事をしてくれるのだから不思議でした。困り果てて先生に相談すると、「夜中に寝ぼけて風の音か何かに驚いて、怖い思いをしたんじゃないかな」とアドバイスをいただきました。自分でもいろいろ工夫して、落ち着くまでに1カ月ほどかかりましたが、こうした相談の折にはチャンピイを訓練する前に先生自身が目隠しをして訓練した塩屋家のシェパードのアスターの話や、犬の心についての話を聞かせていただけて、振り返ればいい勉強になりました。

犬と歩く幸せ、犬と生きる幸せ

まだ20代だった私には先生はどこか祖父のようで、優しいけれど時々怖くてちょっとけむたい大きな存在でした。犬と真剣に向き合うこと、パートナーとしての彼らを信じる大切さ、何より犬のすばらしさを教えていただきました。「ウェンディ、いいアイメイトになったね」とほめていただけた時は誇らしく感じました。「犬に尊敬される主人になりなさい」、あの頃それがどんな意味なのか、正直わかりませんでしたけれど、今アイメイトとの関係がギクシャクしてうまくいかない時、この言葉を思い出し、自らを省みます。賢一先生、犬と歩く幸せ、犬と生きる幸せを私に与えてくださり、ありがとうございました。先生を一生忘れません。

アイメイト協会 原祥太郎歩行指導部長

アイメイト協会にとって65周年という節目で勤続24年を迎え、もうすぐ四半世紀この仕事に従事していることになります。この間、多くの使用者が歩行指導を受けて協会の玄関から旅立っていく清々しい姿を目の当たりにし、私も日々、エネルギーをもらっています。20年という月日は、過ぎてしまえば長いようであっという間です。当時の私の仕事は、賢一さんの送迎でした。賢一さんとは、自宅から協会だけでなく、病院の送り迎えで多くの時間を過ごすことができました。その時に色々な話をしたことが、私の宝になっています。病院が終わると毎回、「原くん、何かおいしいものでも食べに行こうか」と誘ってくださいました。今でもその言葉が耳元でよみがえります。

塩屋賢一の強い意思は今でも職員に受け継がれている

賢一さんが、入校式、卒業式に繰り返し言っていた言葉があります。「視力は無くても心の視野の広い、明るく積極的な社会人になりましょう」、今でも卒業が決まった時に読むマナー集の1行目に記されていますし、協会のモットーです。アイメイトを持つことにより積極的に社会参加をし、壁の無い社会の実現を目指そうという目的は、いまでも脈々と職員に受け継がれています。 また、賢一さんは歩行指導のクラス実施中の日曜日は毎回、ケーキを持ってお茶をしにいらしてました。ケーキの食べ方、お茶の飲み方に始まり、社会参加するにあたって必要な知識を生徒に伝えていました。アイメイト歩行以外のことでもあきらめることなくコツコツと教えている姿は、厳しくもあり、あたたかく見守っていて、常に応援しているように見えました。私たち指導員には、「使用者が一人で何でもできるように、社会に出て困らないように指導しなさい」と常におっしゃっていたのを思い出します。その時、障害があるとかないとかに関係なく、一人の人間として真剣に生徒に向き合っている、尊重している姿を強く感じました。

一人でも多くの視覚障害者が自由に歩くことができる社会へ

65年の時を経た今でも、私たち歩行指導員の仕事は、犬の訓練、歩行指導、啓発活動、指導員の育成です。特に、指導員の育成は本当に長い長い時間を要します。毎回犬も人も違うため、マニュアルが存在しません。繰り返し失敗しながら、少しずつ学んでいく修行の毎日です。コツコツという言葉しか当てはまらない、本当にコツコツの仕事です。塩屋賢一が1957年から始めた強い意思は、65年経った今もなお、何も変わらず続いています。これからも使用者と夢を共有し、ぶれることなく学びながら、一人でも多くの視覚障害者がアイメイトを使い、自由自在にどこでも歩くことができる社会になるよう願い、仕事を続けていきます。