アイメイトの代替わり 別れと出会いが詰まった1ヶ月

杢尾文(もくお・あや)さんに初めて会ったのは、2018年5月のことだ。その時のアイメイトは、比較的珍しいチョコレート(茶)色のメスで、4頭目。当時4歳だった。それから6年。パートナーは10歳になり、杢尾さんは4頭目のリタイアと、5頭目のアイメイトを迎えることを決めた。

長年アイメイトの取材をしていて、僕自身もリタイア犬を迎えた経験があるが、リタイアの瞬間は見たことがない。テレビなどで紹介される他協会のケースでは、「涙と感動の別れ」のイメージがあるが、実際は、それは表面的な見方でしかないという話も聞く。

そこで、今回は、杢尾さんのリタイアから新しいアイメイトを迎えるまでの流れを取材することにした。リタイアの瞬間に立ち合わせていただくとともに、新しいアイメイトとの帰宅の旅に同行した際の様子をレポートする。

2018年5月当時の「使用者インタビュー」はこちら

 

日本一周クルーズを花道に

4歳の時の先代アイメイト(左・2018年撮影)。それから6年。10歳を過ぎ、リタイアを決めた(右・2024年11月撮影)

アイメイトは、使用者の歩行を助けるとともに、心の拠り所となる一心同体のパートナーだ。食事や排泄、健康管理などの日常の世話も、使用者自身で行う。当然のことながら、代替わりと言っても、一部で言われるように使い捨て感覚などでは全くない。リタイアに際して、感謝の気持ちや寂しさなど、極めて人間的な感情が伴うのは当然のことだ。

杢尾さんは今回、リタイアの直前に、アイメイトと夫の勝利さんと3人で、豪華クルーズ船での日本一周旅行に出かけた。最後の日々を楽しく過ごしたその足で協会に預け、そのまま協会を通じてリタイア先の家族に引き渡すスケジュール。前パートナーへの愛情を整理するために、最後の日々に花道を用意したのだ。

クルーズ船は、東京港を出た後、10日間かけて北海道、北陸、九州などを回って東京に戻ってくる。出発の日、僕は文さんの東京都内の実家で待ち合わせた。実家に身を寄せながら大学に通う杢尾さんの末っ子も合流して、出発前にしばしアイメイトと戯れて別れを惜しんだ。お母さんのパートナーは、大事な家族の一員。いつかこの日が来ることは宿命とはいえ、兄妹のように育ったアイメイトとの別れには胸が詰まることだろう。息子さんの目にはうっすらと涙が浮かんでいたが、ここでアイメイトに「別れ」を悟らせるのはかえってかわいそうだと、努めていつも通りにふるまっているようにも見えた。

そして、実家前のバス停から港へ。10日間の「最後のお仕事」のスタートだ。自宅がある佐賀県に比べて乗客や人通りの多い都内の移動も慣れたもの。横断歩道での安全確認や駅構内の歩行は、杢尾さんとアイメイトの協同作業だ。エスカレーターに上手に乗れた時などには、「グッド、グッド!」と褒めてあげる。「上手にできたら褒める」は、アイメイトとのコミュニケーションの基本。杢尾さんはリタイアの瞬間まで、これを続けた。「いつも通りに歩くことが最大の感謝の印」だと、杢尾さんは言った。

ベテランペアの落ち着いた仕事ぶりで、スムーズに港に到着すると、僕は、ここでいったんお別れ。ビルのようにそびえ立つ超巨大豪華客船に消えていく文さんとアイメイト、勝利さんの背中を見送った。

クルーズ船の旅の前に。夫の勝利さん(左)、今回の旅がリタイア前の花道となった先代アイメイトと

旅を終えてその足で協会へ

10歳を迎えたアイメイトの鼻の周りには白髪が増えていて、6年間の月日の流れを感じた。大型犬の10歳と言えば、まだ仕事は支障なくできるものの、そろそろ体力的な衰えが見えてくる頃。リタイアの時期は、使用者がそれぞれの判断で決めるが、余力のある10歳前後にリタイアさせる人が多い。

アイメイトはリタイア後、ボランティアのリタイア犬奉仕家庭に各々引き取られ、家庭犬として余生を過ごす。筆者も、2019年に10歳のリタイア犬を引き取り、14歳で亡くなるまで一緒に暮らした。その4年間の日々を日記のように撮り溜め、『リタイア犬日記』と題して写真展を開いたのだが、「引退した盲導犬がこのように各家庭で幸せに過ごすことを知りませんでした」といった声を来場者から多くいただいた。メディアの報道などを通じて、盲導犬は引退すると老犬ホームのような施設で集団生活をすると思っている人も少なくなかったが、それは他の育成団体における一部の例で、アイメイトの場合は、例外なく家族とともに余生を過ごす。アイメイト協会では、人間の暮らしと共にある犬という動物にとっては、家族の一員として生きるのが、自然で幸せだと考えているからだ。

さて、アイメイトのリタイアの手順には、大きく3つのパターンがある。まず、一旦協会に預けて、協会がリタイア先を手配するパターン。2つ目は、使用者がリタイア先を決め、協会に報告の上、直接引き渡すパターン。また、稀にアイメイトとしての仕事を引退させても、そのまま家庭犬として一緒に暮らすパターンもある。この場合、リタイア犬と暮らしている間は次のアイメイトを迎えることはできない。

今回の杢尾さんの場合は、1つ目のパターンと2つ目のパターンの間と言える。リタイア先は杢尾さん自身が決めたが、引き渡しは協会を通じて行う。日本一周クルーズを終えたその足で協会に行き、アイメイトを引き渡して、自身はそのまま協会に残り、次の犬との4週間の歩行指導合宿に入る。その間に、リタイア犬奉仕者が協会に引き取りに来るという段取りだ。

リタイア前の船旅の一コマ。愛情と感謝の気持ちを伝える10日間だった(杢尾勝利さん撮影)

涙はなく淡々と

東京港で見送った10日後、東京・練馬区のアイメイト協会のロビーで待っていると、やがて旅を終えた杢尾さんペア、勝利さんがやってきた。塩屋隆男・アイメイト協会代表理事と歩行指導員が出迎える。杢尾さんは、簡単にあいさつを交わすと、すぐにリードを歩行指導員に手渡した。そのリタイアの瞬間は、実にあっさりとしたものだった。杢尾さんは努めて淡々と振る舞っている様子。アイメイトも察していたとは思うが、静かに成り行きに従っているように見えた。

「出会った時から、いつか引退することは分かっているわけじゃないですか。『ありがとう』の気持ちはあっても、そこでめそめそするのは犬に失礼かなと」

「万感の思いを込める」と言うが、関係が、愛情が深いからこそ、表面的にはあっさりとした別れになるものだと思う。

この瞬間に「リタイア犬」となった前アイメイトは、歩行指導員と共に裏手の犬舎に消えていった。杢尾さんは、そのままこれから4週間の歩行指導期間を過ごす2階の居室へ。寂しさを感じる暇なく次のステップに進めるのは、ありがたいことだと、杢尾さんは言う。

歩行指導員(手前)にリードを手渡した瞬間、リタイアとなった
前アイメイトを引き渡した後、杢尾さんは次のアイメイト候補犬との4週間の歩行指導を受けるため、協会2階の居室へ

その数時間後、早速、協会へリタイア犬奉仕者がやってきた。この日を心待ちにしていた奉仕者は、リタイア犬に、持参した家庭犬用の首輪をかける。必要な手続きは事前に完了していたこともあり、歩行指導員から簡単な説明があったくらいで、こちらもあっさりと引き渡し完了。迎えの車に乗り込んだリタイア犬が、じっと新しい家族の顔を見つめていたのが印象的だった。

いきなりの飛行機旅

その4週間後、杢尾さんの傍には若いパートナーが佇んでいた。今度は小柄なイエローの女の子。さまざまな試練を乗り越え、この日、無事卒業を迎えた。協会内での卒業式が終わると、そのまま新米のアイメイトと共に、帰路につく。ここからは、歩行指導員らの助けはない。杢尾さんの自宅は東京・練馬区のアイメイト協会から遠く離れた佐賀県。初めての単独歩行としては、なかなかハードルが高い。僕は、なるべく新米ペアの歩行の邪魔にならないよう、少し離れたところから見守りながら、半日がかりの飛行機旅に同行した。

新たなステージへの第一歩。歩行指導合宿を修了し、新しいパートナーとアイメイト協会を後にする

まずは、協会近くの吉祥寺駅前にある羽田空港行きのバス停を目指す。杢尾さんたちは、下調べで覚えた道順を辿り、しっかりとした足取りで歩を進める。やがて人通りが多い駅前の横断歩道を渡り、バス停があるはずのガード下に到着。杢尾さんはそこで立ち止まって、通行人に声をかけた。「近くに羽田空港行きのバス停があると思うのですが、どこですか」と尋ねると、少し先のバス停に案内され、無事バスに乗り込むことができた。

空港では、航空会社のカウンターでアイメイトを使う視覚障害者である旨スタッフに申し出て、搭乗口まで案内してもらう。杢尾さんはハーネスを持ち、颯爽と歩を進めた。福岡行きの飛行機の座席につくと、アイメイトは足元で小さく丸まり、静かに目を閉じた。やがて、轟音とともに離陸。杢尾さんの前アイメイトをはじめ、飛行機で不安そうな様子を見せる犬もいるというが、この新米アイメイトは、初めての飛行機でも落ち着いたもの。「すごい、やるじゃないの。偉いね」と、杢尾さんは嬉しそうに頭を撫でた。

ここがあなたのお家です

福岡空港に車で迎えに来た勝利さんと無事合流し、自宅に着いた時には、すでにあたりは真っ暗だった。「ドア」の指示で、アイメイトはこれから長い年月を過ごす我が家へと初めて入っていった。前アイメイトと同じ、居間の一角が寝床。ハーネスを外してそこに座らせ、「ここがあなたのお家です」と杢尾さんが言うと、アイメイトはそこで初めて、杢尾さんの顔を舐めたり、お腹を見せて甘え始めた。

その晩は、長男がアルバイトしている近所の焼鳥屋さんで夕食。出かける前に、自宅の庭で「ワン・ツー」をさせる。アイメイトは、原則的に、適切なタイミングで、使用者の「ワン・ツー、ワン・ツー」の指示を受けて排泄をする。使用者とどこへでも一緒に行って社会生活を送るためには、必要なことだ。慣れない場所ではなかなか「ワン・ツー」をさせるのが難しいケースもあるが、自宅での「初ワン・ツー」にも関わらず、5分くらいしてから「グッド!グッド!」と杢尾さんの褒める声が聞こえてきた。その後、お風呂場でのワン・ツーにも成功。バス停探しからの飛行機旅に始まった新しいパートナーとの初日は、大成功に終わった。

新たな門出に乾杯

翌日は、まず午前中に基礎訓練と歩行の練習がてら近所のスーパーへ。歩行指導はあくまで、アイメイト歩行の基礎を学ぶ場。帰宅してからの継続的な訓練と経験が重要だ。そうして絆が深まるに従い、パートナーシップの完成度が上がっていく。

続いて、歩行指導合宿中に恋焦がれた地元の名店で博多ラーメンを食べた後、新しいアイメイトと真っ先に行きたかった福岡県内のビール工場へ。工場見学とできたてのビールの試飲ができる、お酒が大好きな杢尾さん夫妻の“聖地”だ。今度は最寄駅からの鉄道旅。杢尾さんは、駅までのルート、乗車の手順を丁寧にパートナーに指示していく。アイメイトもそれによく応え、駅からはタクシーに乗ってビール工場へ。工場内での誘導もバッチリだ。いつでも、どこでも、行きたいところへ行ける。これが、アイメイト歩行の真髄と言えるだろう。

杢尾さんのこれまでの4頭にわたるアイメイトライフは、4人の子供たちの子育てと共にあった。5頭目を迎えた今、上の3人は社会人、末っ子は大学生。勝利さんは間もなく定年を迎える。これからは、今回のクルーズ船の旅のような長期の旅行や、日常の楽しみの機会も増えるだろう。記念すべき門出となったこの日、杢尾さん夫妻は、工場内で、できたてのビールで乾杯。アイメイト・ライフ第5幕の開幕を祝った。

5頭目のアイメイトとの門出(上・2024年12月撮影)を祝って、先代の時代(下・2018年5月撮影)と同じようにアイメイトライフに乾杯

文・写真/内村コースケ(2024年11~12月取材)

2025年7月18日公開