連載 ブラインド×スポーツ スポーツに取り組む視覚障害者

「声」でコミュニケーションする ブラインド×サッカー (1)

NPO法人日本ブラインドサッカー協会 D&I事業部(ダイバーシティ・アンド・インクルージョン)/埼玉T.Wings所属 駒崎広幸さん

視覚障害者スポーツである「ブラインドサッカー」は、音の鳴るボールを使ってプレーする5人制サッカーだ。国際大会では全盲の選手だけが出場可能だが、国内大会では弱視者や晴眼者もアイマスクを装着してともにプレーすることができる。

アイマスクを着用したフィールドプレーヤー4人と、晴眼者か弱視者が務めるゴールキーパーのほかに、相手方ゴールの裏側に「ガイド(コーラー)」と呼ばれる人がいる。ガイド、サイドフェンス外にいる監督、ゴールキーパーそれぞれが、フィールドプレーヤーに必要な情報を提供する役割を担っているのもブラインドサッカーの特徴だ。

NPO法人日本ブラインドサッカー協会より

ブラインドサッカーのヨーロッパ大会が初めて開催されたのは1990年代。日本では2001年に国際視覚障害者スポーツ連盟の国際ルールが取り入れられ、2003年に初の全国大会が開催された。現在では、全国各地にブラインドサッカーのチームが25チームあり、競技人口は400人以上。選手以外にも、運営をサポートするボランティアなど、多くの人がかかわる。

2004年のアテネ大会からブラインドサッカーはパラリンピックの正式競技となり、2020年の東京パラリンピック大会に向けてさらに注目が集まっている。

苦手だから、チャレンジしたかった

駒崎広幸さんは、NPO法人日本ブラインドサッカー協会の職員であり、チーム「埼玉T.Wingsに所属する選手でもあります。まず、ブラインドサッカーを始めたきっかけを教えてください。

僕がブラインドサッカーを始めたのは、いまから3年ほど前です。網膜色素変性症という病気による弱視なのですが、視力が落ちてからマラソンを始めました。足をちょっとケガしたときがあって、そのときにブラインドサッカーをすすめられたんです。

調べてみたら、自宅から通える場所で練習しているチームがあり、それが埼玉T.Wingsでした。最初は見学だけするつもりで行ったのですが、練習やゲームにも参加することになって、帰り際には「それで、次はいつ来るの?」って(笑)。そのままずっと続けています。

初めて公式試合に出たのは、ブラインドサッカーを始めて1年くらい経ったとき。味方の選手がケガをして、思いがけず出場することになったんです。でも、その対戦相手がなんと当時日本一だったチーム! 僕はただ立っているだけでした。

左側の背番号18のユニフォームが駒崎さん(写真提供:日本ブラインドサッカー協会/鰐部春雄)

未経験でも、すぐにプレーできるものなのでしょうか?

いやあ、やっぱり難しいですよ(笑)。僕は若いときもサッカーをやっていなかったので、いまでもちょっと苦手意識があります。でも、へそまがりなところがあるので、自分の苦手なことにチャレンジしてみたいという気持ちもありました。

それに、僕がブラインドサッカーを始めたのが44歳のときなので、同じような境遇の視覚障害者に、40代でも50代でも経験ゼロから始められるスポーツなんだって思ってもらいたい。そう思って、続けているところもあります。

視覚障害者スポーツのなかでも屋外で行うものとなると、そんなに多くはないんですよね。芝の上でボールを転がして、手足を自由に動かすことは、ブラインドサッカーのひとつの魅力だし、それが喜びでもあるんです。

埼玉T.Wingsには何人くらいのメンバーが参加しているのでしょうか?

30人弱です。公式試合に出られるのは中学生からですが、下は小学校2年生から上は60代までと年代は幅広くて、男性も女性もいます。選手だけでなく、さまざまな形で運営をサポートするメンバーもいます。

練習は多いときで月2-3回、オフシーズンだと月1回くらいですね。仕事をしながらやっている人が多いですし、選手だけでなくサポートしてくれる人数も必要なので、予定を調整するのはなかなか大変です。

最年長でもある60代の選手は、ブラインドサッカーを始めて2年目。それまでほとんどサッカーをしたことがなかったそうです。視覚障害者のスポーツとしてはかなり激しいほうだと思いますが、それがかえって新鮮で楽しい、と言っていました。

埼玉T.Wingsの仲間と。後列右から3番目、金髪の男性が駒崎さん(写真提供:日本ブラインドサッカー協会/鰐部春雄)

2020年2月27日公開