連載 ブラインド×スポーツ スポーツに取り組む視覚障害者

走ることで「地に足のついた」自信を得られた ブラインド×マラソン (1)

アキレスインターナショナルジャパン 代表 重田雅敏さん

パラリンピックの競技種目でもある「ブラインドマラソン」。日本では、1983年に「第1回全日本盲人健康マラソン大会」が開催されたことが普及のきっかけになったと言われている。マラソン大会に参加はしなくても、定期的にランニングを楽しんでいる視覚障害者は多く、障害の有無にかかわらず参加できるランニングクラブは全国にある。

東京・代々木公園で定期練習会を行っている「アキレスインターナショナルジャパン」もその一つ。1983年にアメリカ・ニューヨークで設立され、世界37カ国に支部をもつ「アキレスインターナショナル」の日本支部として、1995年に活動をスタートさせた。「さまざまなタイプの障害を持つ人達が競技を楽しむべき」という考え方に基づいて、視覚障害者だけではなく、いろいろな人達が一緒になって定期練習会を開き、各地のマラソン大会への参加もサポートしている。

単独で走ることのできる弱視の場合をのぞいて、視覚障害ランナーは「伴走者」と輪にしたロープをお互いに持ち合って一緒に走る。伴走者は、コースの方向や変化、進路にある障害物などを伝える役割を担う。それ以外は、一般のランニングやマラソンと同じだ。多くのマラソン大会が視覚障害ランナーの参加を受け入れており、視覚障害者部門を設けている大会や視覚障害者だけが参加できる大会も開催されている。

伴走者と輪にしたロープを持って走る重田さん(左)(写真提供:重田さん)

最初は走るより、話すのが楽しみだった

現在、重田さんはアキレスインターナショナルジャパン(以下、アキレス)の代表を務めていますが、最初にアキレスに参加したきっかけは何だったのでしょうか?

私はいま67歳ですが、マラソンを始めたのは50歳のときです。視力が急激に落ち始めた42歳くらいから中途失明者の就労支援を行うNPO法人「タートル」に通っていました。そこでアキレスの人に会って誘われたんです。ただ、あまり走るのが得意ではなかったので、そのときは参加しませんでした。

その後、49歳を過ぎてから全盲になり、「スポーツをしたほうが運動不足にならないし、人との接点ができて社交的になるよ」と周りからすすめられました。ちょうど年齢的にも、生活習慣病になりやすいときですよね。それで代々木公園で行われているアキレスの定期練習会に行ってみたんです。でも、全然走れなくて、きつかった!

最初の日は頑張って、でも歩くようなスピードで公園を3周くらいはまわったかな。5キロ程度ですが、もうクタクタでした。それでも、その後も練習に通ったのは、走り終わってからみんなで食事に行って話すのが楽しみだったからです。走るのは本当に地獄でしたけど(笑)。

いろいろなマラソン大会に出場されてきた重田さんも、最初は大変だったんですね。いつから走るのが楽しくなったのですか?

やっぱり毎週走っていると、けっこう走れるようになるものです。1、2年くらいした頃に「かすみがうらマラソン兼国際ブラインドマラソン」の10マイルの部(16.09キロ)に出ました。自信はなかったのですが、なんとか走ることができた。

ちょうどその頃、アキレスの会員の中に「もっと走りたい」という人が増えて、新しく「代々木公園・伴走伴歩クラブ(バンバンクラブ)」という別のクラブもできました。アキレスは毎月第2、4、5日曜日に練習をしているのですが、バンバンクラブの練習は毎週土曜日。私は両方に参加して、土日とも走るようになりました。そこから、段々と体力維持ではなく、記録狙い、走力アップという目的に変わっていきましたね。

最初の頃はフルマラソン(42.195キロ)を5時間20分くらいで走っていましたが、次第に走力がついて、自己ベストは3時間21分でした。胃痛のために引退しようと考えて、最後に100キロのウルトラマラソンを走ったのは60歳くらいのときでしたけど、その時の伴走者は70歳でした。二人あわせると130歳(笑)。年をとると瞬発力やスピードは落ちますが、練習していれば持久力は落ちないものです。80歳を過ぎても走っている人もいますよ。

他のランニングクラブの練習にも参加されているのですね。

そういう人はけっこういます。私はいろいろなランニングクラブに所属しているので、土日いつでも走れる環境にあります。そういう意味では、東京の人は幸せかもしれないですね。
もちろん週1回でも走ったほうが健康にはいいですが、マラソン大会に出て記録を狙いたいとなると、本当は週3回くらい走る必要があります。

視覚障害者の場合は、「朝ちょっと2キロだけでも走ろう」ということができません。隣の家に伴走者が住んでいれば別ですけどね(笑)。まず、そういう状況はないので、練習会のある土日に走るしかないんです。あとは、土日の練習会で出会った伴走者に個人的にお願いして、平日の夜に来てもらって一緒に走るとか、そんな感じです。

だから、大会にたくさん出て人脈を広げて、伴走者の知り合いを増やしていくことがとても大事。たとえ20人くらい伴走者の知り合いがいても、お互いの予定が合う人となると1人か2人くらいですから。

2018年の「アキレスふれあいマラソン大会」にて(写真提供:重田さん)

2020年2月27日公開