連載 ブラインド×スポーツ スポーツに取り組む視覚障害者

仲間と一緒に、それぞれの「見えない壁」に向き合う ブラインド×クライミング (1)

NPO法人モンキーマジック代表 フリークライマー 小林幸一郎さん

自分の力だけで、岩壁や人工壁を登るフリークライミングは、自然の中で行うロッククライミング(岩登り)の一種として1970年代に始まったとされる。

フリークライミングのなかには、「ボルダリング」と呼ばれ、身体にロープをつけずに4、5m以下の高さを登るものもある。カラフルなホールド(人工壁につけた突起物)を使って登る様子を見たことがある人も多いのではないだろうか。最近では屋内施設も増えており、下にマットを敷くなどの安全面も配慮され、誰でも気軽に楽しめるようになった。

パラクライミングと呼ばれる競技クライミングは世界各地で大会が行われ、視覚障害者をはじめ、片腕や片足を失った人、手足に麻痺がある人など、さまざまな障害のあるクライマーが出場。世界選手権も2年に一度開催されている。

今回お話をうかがったのは、パラクライミング世界選手権・視覚障害男子B1クラスで、2019年に4連覇を果たした現役フリークライマーの小林幸一郎さん。NPO法人モンキーマジック代表として障害者クライミングの普及活動に取り組んでいる。

現役フリークライマーとして海外でも活躍する小林幸一郎さん

不安の中で問われた「どう生きていきたいのか」

小林さんがクライミングを始めたのは、16歳のときだったそうですね。28歳で「網膜色素変性症」と診断されたときには、アウトドアの会社に勤めていたと聞きました。

当時、アウトドアのガイドの仕事をしていて、「一生ずっと続けていく」というくらい仕事に誇りをもっていました。ずっと視力は良かったのですが、段々と見えづらくなってきたので、眼鏡を作ろうという気持ちで検査を受けに行ったところ、「網膜色素変性症」であることがわかり、近い将来に失明すると言われたんです。

その後、いくつかの病院を転々としたのですが、どこでも診断は同じ。お医者さんは「あなたの場合は、まだ初期段階だから、そんなに心配しなくていいですよ」と言うんですが、こっちからしたら、誰かと比べてほしいわけじゃない。「この先、どう生きていったらいいんだろう」ということが知りたかったんです。

そんななかで、5つか6つ目の病院だったと思いますが、友人にすすめられて行った病院にロービジョン・クリニック(視覚障害があり日常生活に不自由を感じている人に総合的な支援をする専門外来)がありました。

それまでの病院とは何が違ったのでしょうか?

当時、どんどん見えなくなるなかで、私は「できなくなること」ばかりを考えていたんですよね。「運転免許の書き換えができなくなった」、「文字も読みにくくなった」、次は何ができなくなるのか・・・という、まだ起きていない悪い未来のことばかりを想像するようになっていました。

そうしたら、そこのケースワーカーの先生が「いやいや、待ってください」と。

「次に何ができなくなるのかと聞かれても、私たちにできることはありません。もっと大事なことがあるでしょう。あなたが何をしたいのか、どうやって生きていきたいのか。それがあれば、私たちも周りの人も、社会の仕組みも、あなたを支えられるはずです」と言ってくれました。その言葉が、「自分は何がしたいのか」を前向きに考える、ひとつのきっかけになったんです。

それと、転機になった出来事がもうひとつありました。

それは何でしょうか?

ケースワーカーの先生に言葉をかけてもらい、一人の視覚障害者としてどう生きてゆこうかという模索が始まった頃、友人の結婚式でアメリカのコロラドに行く機会があったんです。そのとき友人から「この近くに全盲でエベレストに登っている人がいるよ」と聞いて「はああ!?」と、すごい衝撃を受けました。それまで自分が患者会などで出会っていた視覚障害者のなかには、そんな人はいませんでしたから。もしかして、自分が思っているよりも視覚障害者には、はるかに大きな可能性があるんじゃないかと感じたんです。

その人の名前は、エリック・ヴァイエンマイヤーというのですが、さっそく彼の本を手に入れ、帰国してから「会いたい」というメールを書いて送りました。そして半年後、実際に彼に会いに行き、誘われて一緒にクライミングもしたんです。そのとき、エリックから「アメリカでは、たくさんの障害のある人がクライミングを通じて、失いかけていた自信を取り戻したり、新しい可能性に気づいたりしている。日本で誰もやっていないなら、コバ(小林さん)がやったらいいんじゃないの」と言ってもらいました。

キリマンジャロの山頂で、小林さんとエリックさん

よく「小林さんはクライミングがあったから、障害を乗り越えられたんですよね」って言われるのですが、それまでの自分にとってクライミングは「ただの趣味」。それよりも、この先どうやって生活をするのかと仕事のことばかり考えていました。でも、自分は病気になってもクライミングを続けてきたのだし、自分が続けられるのなら視覚に障害のある他の人たちも楽しめるのではないか。そして、そのことが伝えられるのは自分なのではないか、と考えたんです。このときからクライミングは「自分だけの趣味」から、「他の人にも伝えていくもの」へと変わっていきました。

 

2020年6月18日公開