アイメイト(盲導犬) ウェイ
盲導犬、国産第1号誕生からの歩みを紹介します。アイメイト(盲導犬)の育成と歩行指導を通じて、視覚障害者の自立を支援する協会のサイトです。


国産第1号となる盲導犬を誕生させてから、約50年におよぶ当協会の歩み。それは、社会に受け入れられるよう粘り強く力を尽くしてきた、我が国の盲導犬と関係者の足跡でもあります。

1948年
塩屋賢一(アイメイト協会創設者)が盲導犬育成を志し、目隠しの生活を体験しながら盲導犬の育成方法を試行錯誤で模索し始めました。
1957年
チャンピイの訓練完成。8月に河相冽氏に歩行指導を終了。国産第1号の盲導犬=アイメイトが誕生しました。(当時の写真と河相氏のコメント)
1967年
かつてのアイメイト協会の施設(練馬区関町南)を母体に(財)日本盲導犬協会が認可されました。
1969年
東京都の盲導犬育成事業の委託がスタートしました。また同年、塩屋賢一がThe Seeing Eye, Inc.を訪問して友好関係を拓きました。
1970年
『盲導犬は視覚障害者の目である』というポリシーを貫くため、弁護士を通じて日本盲導犬協会と訣別しました。
1971年(3月18日)
当時の職員6名の職場放棄にあい、盲導犬の育成を断念せざるを得ない状況に。しかし、相次いで寄せられた継続要請に後押しされ、閉鎖を思い止まりました。
1971年(10月10日)
塩屋個人の土地を基本財産として寄付し、(財)東京盲導犬協会の設立認可を受けました。
1972年
当時の国鉄は、どの協会も日本盲導犬協会を窓口として1週間前に申請しなければ乗車できませんでした。その不合理を正し、手続の簡略化を計るために、窓口一本化を要望する国鉄対策として、東京盲導犬協会が呼びかけて『全国盲導犬協会連合会』を発足。全国盲導犬協会連合会加盟○○盲導犬協会という使用者証が採用されました。
1972年(10月10日)
啓発活動として第一回アイメイト・デーを実施。以後、毎年続けています(1983年のみ休み)。
1977年(4月26日)
当協会の顧問で参議院議員であった柄谷道一氏が、盲導犬使用に係わる諸問題について国会質問されました。その際、史上始めてアイメイト(盲導犬)使用者が国会議事を傍聴。この国会質問を機に国鉄の自由乗車が実現しました。
1978年(3月27日)
運輸省自動車局長より日本バス協会に通達が出て、バスが自由乗車になりました。
1978年(12月1日)
道路交通法が改正され、『目の見えない者は白杖または盲導犬を伴って歩く』と成文化されました。同時に既存の盲導犬協会は、国家公安委員会の指定法人となりました。
1979年
厚生省の身体障害者社会参加促進事業の13事業(当時)の1つとして、盲導犬育成を実施する自治体が出てきました。アイメイト協会が現在委託を受けているのは17の自治体です。
1980年(9月)
環境庁より、全国の国民宿舎に『盲導犬使用者の宿泊』に協力するように通達が出され、国鉄は国家公安委員会指定協会名の盲導犬使用者証による乗車に移行。航空会社・私鉄・バスもこれに準ずることになりました。
1980年
丸紅福祉基金により、歩行指導員2名をThe Seeing Eye, Inc.に研修に派遣。アイメイト育成事業に大きな発展がありました。
1981年(2月)
航空3社は口輪装着の義務を軽減。厚生省環境衛生局からレストラン・喫茶店・旅館等に対して、盲導犬使用者への対応協力についての指導がされました。この間アイメイト使用者・関係者は8万人の署名を集めて請願をしました。
1983年(11月)
各交通機関を含めて社会環境が開かれてきたため、その使命は終わったと判断し、当協会は『全国盲導犬協会連合会』から退会しました。
1984年(5月)
航空3社が航空機利用時の口輪装着条項を撤廃しました。
1985年
『盲導犬歩行国際交流セミナー』開催。The Seeing Eye, Inc.より訓練部長を招へい。アイメイト使用者はもちろん、国内各盲導犬協会も参加して研修およびセミナーを開きました。
1986年
当協会顧問・奥田敬和衆議院議員のご尽力により、運輸省通達により日本バス協会宛に乗車時の口輪の装着が解除されました。
1988年
丸紅福祉基金により歩行指導員2名がThe Seeing Eye, Inc.を研修のため訪問しました。
1989年(4月1日)
東京盲導犬協会は1973年から『アイメイト』の呼称を使っていましたが、この年、『アイメイト協会』と名称変更が認められました。
1989年(6月5日)
厚生省より再度『盲導犬を伴う視覚障害者の旅館・飲食店の利用』について協力するように、各都道府県に通達が出されました。
1990年(4月)
国際盲導犬学校連盟の正会員となりました。
1990年(8月3日)
アイメイト使用者が、のべ500名に達しました。
1990年(8月22日・23日)
姉妹関係にある、世界で最も古く実績のあるアメリカのThe Seeing Eye, Inc.に紀宮清子内親王のご訪問があり、アイメイト協会としてご案内役を務めました。
1990年(10月10日)
第17回アイメイト・デー/アイメイト使用者500名達成記念大会を開催。また、「アイメイトと歩む人生1」(アイメイト使用者500名達成記念文集)を発刊しました。
1991年(10月10日)
アイメイト・デーに、明治神宮におけるバード・リスニングを実施しました。
1992年(5月31日)
同窓会のレクリエーションにおいて、使用者約40名がバード・リスニングを実施しました。※91年、92年と、2度ともバード・リスニングには紀宮清子内親王(現:黒田清子氏)が日本野鳥の会のメンバーとしてボランティアで参加され、使用者に説明されました。
1992年(10月7日~10日)
第2回盲導犬歩行国際交流セミナーを開催。The Seeing Eye, Inc.より事業部長ダグラス・ロバーツ氏を招へい。約250名を対象に成果をあげました。
1993年(10月1日)
特定公益増進法人の認定を受けました。
1993年(11月3日)
創設者塩屋賢一が叙勲(勲五等瑞宝章)を受章しました。
1996年(10月10日)
練馬区関町北5丁目に視覚障害者歩行訓練センターが竣工しました。同日、世界最大の盲導犬施設The Seeing Eye, Inc.と友好と協力の協定書を交わしました。
1997年(10月10日)
「アイメイト誕生40周年を祝う会」を開きました。
1997年(12月)
「アイメイトと歩む人生2」(国産第1号誕生40周年記念文集)を発刊しました。
2002年(10月2日)
創設者塩屋賢一が第10回ヘレンケラー・サリバン賞を受賞しました。
2007年
50周年を迎えました。
2007年(4月28日)
卒業実績1000組を達成しました。